南宗寺 茶室「実相庵」 2007.12

  
南宗寺は、臨済宗大徳寺派の禅寺で、戦国時代、堺を支配した武将、三好長慶が父元長の霊を弔うために弘治3年(1557)に大林宗套を迎え、今日の宿院あたりに寺を開きました。その後大阪夏の陣(1615)にて他の寺院とともに焼失しましたが、当時の住職澤庵によって現在地に再建されました。境内には茶道を完成させた千利休や武野紹鴎の供養塔などがあります。また国名勝の枯山水の庭、八方睨みの龍の描かれた仏殿、山門・唐門は国の重要文化財に指定されています。

案内板説明より

    
千利休と茶道
南宗寺には、利休一門とその師武野紹鴎の供養塔があります。利休の「茶禅一味」の精神基盤は大林宗套ら歴代の和尚のもとで禅の修業をし、確立されたと言われています。境内の奥には、利休好みの茶室「実相庵」があり、師紹鴎遺愛の「六地蔵石燈籠」、利休遺愛の「向泉寺伝来袈裟形の手水鉢」があります。
南宗寺ゆかりの人々
 大林宗套 (1480〜1568)  大徳寺僧で、千利休をはじめ多くの帰依者を得て、南宗寺開山。堺と大徳寺を結び「茶禅一味」の礎を作った。
 三好長慶 (1523〜1564)  阿波国(現在の徳島県三好市)の出。拠点とした堺の経済力を背景に畿内を支配するが、めまぐるしく変わる戦国時代の後期には急速に衰退した。
 千利休   (1522〜1591)  堺の納屋衆に生まれ、織田信長、豊臣秀吉に茶頭として仕え、今日まで通じる「わび茶」を確立した。その後秀吉の怒りをかい切腹。
 澤庵宗彭 (1573〜1645)  臨済宗大徳寺派の禅僧。南宗寺の再建に尽力し、今日の姿の基礎を作った。晩年は三代将軍徳川家光の信奉を受け、江戸、品川東海寺の開山となる。

案内板説明より