大鳥大社 2007.12

  
祭神は、日本武尊と大鳥連祖神の二柱であり、和泉国一の宮にあたる延喜式名神大社であり、同じく式内社の大鳥北浜神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥浜神社と伴せて、大鳥五社明神と呼んでいる。当社の本殿は、わが国神社建築史上、大社造りにつぐ古い様式で、大鳥造と呼ばれている妻入り神社建築は、出雲の大社造・大鳥造・住吉造と発展して来たものであるが、当社本殿は明治38年に焼失し、同42年に古式どおり造営されたものである。神域は千種森といわれ、樹木が密生し、うっそうとしている。奉祀の時一夜にして種々の樹木がはえたという伝説をもっている。当社は文武の神として、古来より武家の信仰が厚く、平清盛・重盛父子も平治元年(1159)熊野参詣の途中当社に参拝し、清盛は「かいこぞよ、帰りはてなば飛びかけり、育み立てよ大鳥の神」と一首よんだ。富岡鉄斎(当社大宮司)の筆になる歌碑が現存している。

案内板説明より