等乃伎神社 2007.12

  
古事記下巻仁徳天皇(313399)の段に記載されている兔寸河(ときがわ)のほとりの巨木説話から、この地が、古く先史時代の樹霊信仰と、高安山から昇る夏至の朝日を祭る弥生時代の農耕民族の祭祀場、つまり太陽信仰の聖地であったとされています。
その後、奈良時代の天平勝宝四年(752)五月、古代祭祀を司る中臣氏の一族、殿来連(とのきのむらじ)竹田売が祖神天児屋根命をこの地に奉祀し、大政大臣藤原智麻呂、その子大納言恵美押勝(藤原仲麻呂)が相次いで、この里に来住したと伝えられています。

案内板説明より