境王子跡 2008.01

境王子は鳳王子とともに堺市域にあったとされる熊野九十九王子社の一つです。熊野九十九王子社とは上皇や女院の熊野詣が盛んであった平安時代中期から鎌倉時代中期にかけて、大阪から熊野三山にいたる熊野街道沿いに設けられた熊野権現の末社のことです。
京から熊野へ詣でる人々は、船で淀川を下り大阪窪津王子(現大阪市中央区石町二丁目)の辺りに上陸します。そして陸路熊野街道(西熊野街道)を南下し、坂口、阿倍野などの王子を経て境王子へと至るのです。熊野街道が市内をどのように通っていたのかは定かでありませんが、南下し、大鳥王子、篠田王子(現和泉市)を経て、熊野三山へと向かいます。熊野へ詣でる人々は王子社で休憩して旅の疲れを癒したり、身を清めて遠く熊野を遥拝したのです。また王子は熊野街道の路程表示や駅逓の役割も果たしていました。
江戸時代中期以降、熊野詣の衰退に伴って、王子社の大部分はさびれてしまい、社殿が失われた王子社も少なくありません。境王子も現在ではその瘢痕を留めておりませんが、『堺市史』ではこの王子ヶ飢公園付近を境王子跡に比定しています。
なお碑の建立にあたり、碑の原石は熊野三山のひとつ熊野本宮が所在する和歌山県本宮町より寄贈をうけました。
碑文は堺美術協会会長辻川穆堂氏に揮毫していただきました。

平成4年  堺市教育委員会

案内板説明より