壇上伽藍---金剛峯寺---一の橋---中の橋---御廟橋---弘法大師御廟
   
2009年4月11日-12日  晴れ
桜の花咲く季節に高野山女人堂、高野三山巡りに出かけた。この週は4月とは思えない気温の上昇と晴天続きで、三重県では桜が一気に開花していた。
午後近鉄宇治山田駅12時29発で鶴橋経由難波まで行き、ここで南海電鉄高野線に乗り換えた。15時難波発、極楽橋でケーブルカーに乗り換えて高野山駅に16時36分に到着。南海りんかんバスで不動坂口女人堂に17時頃着いた。ここから高野山女人堂巡りの山道に入っていった。この日は大門まで女人道を歩き、宿坊に行く途中、壇上伽藍に立ち寄った。もう夕方だったが、壇上伽藍の金堂、根本大塔、東塔、不動堂等を回って、金堂前バス停近くの今夜の宿坊、櫻池院に行った。すぐに食事の精進料理を食べ、風呂にゆっくり入って早めに寝た。
翌日も快晴。朝食を終えて、朝8時頃に宿を出た。壇上伽藍、金剛峯寺を回って、再び大門に戻り、龍神口女人堂跡から女人道に入った。
女人道、高野三山巡りをして最後の山転軸山に着いたのは14時12分。女人道は転軸山森林公園に下りるが、小休止後、弘法大師御廟のある奥の院方面への急坂を下りていった。きちんとした標識がなく、木に貼り付けた粗末な「奥の院方面」というテープだけだったので心配したが、途中まで降りていくと線香の匂いがしてきたので、勇気付けられ杉の根に足をとられないように下っていった。10分強で、川に出て、飛び石を渡って(写真)御廟裏に出た(写真)(14:36)。ここも人、人、人。線香の立ちこめる中、お参りをして、記念品を買った。御廟橋を通り14:53)、たくさんの立派な供養碑が建ち並ぶ道を中の橋の方へ下っていった。それにしても歴史に名だたる人の供養碑があっちにもこっちにも見えすごいところとただ感心するのみ。弘法大師の影響力はすごい。中の橋を過ぎて、左折して墓の中を通り、中の橋霊園に出て、その先の森林公園前で、本来の女人道にもどった(15:30)。公園で休憩してアスファルトの道を進んで黒河口女人堂跡を16時に通った。御廟から道に少し迷ったこともあり、思いのほか時間がかかってしまった。ユースホステル手前で右折せずに高野山警察前に来てしまったので、ここで、来たバスに飛び乗り、高野山駅16時15分発のケーブルカーで極楽橋に行き、ここでもぎりぎりで、16時30分発の難波行きの特急に飛び乗り、宇治山田に19時58分に着いた。いつもながら、帰りはぎりぎりで、走って、走って列車に間に合う。

 

  

案内板の説明
   
高野山の草創
高野山は和歌山県伊都郡の紀ノ川南方、海抜820メートルの山上にある。東西5キロ南北1キロの平地となり八葉の峰々でかこまれている。今から1150年前、弘法大師は真言密教の修禅の地として朝廷から賜わった。行者は朝に夕に修行し、この身このままで仏になるように努めている。弘法大師は弘仁7年(816)から弟子とともに高野山(金剛峯寺)の建設にかかった。先ず西部の小高い台地に壇場をひらき堂塔を建立した。講堂(後の金堂)・地主神の御社・僧坊、教理上の中心としての大塔の建設も企て困難を越えその実現に努力した。壇場の北に中院(現龍光院)があるが弟子真然大徳以後の歴代の山主は、同院に住したといわれ中興 明算大徳の名も知られている。

和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺

  

根本大塔

大塔は弘法大使の遠大な構想によって創められたが、その完成は大師以後となった。雷火によって何回も焼けその都度再建された。現在の塔は第六回目に昭和九年(1934)に再建された。高さ十六丈(48メートル余)の真言密教の宝塔すなわち大日如来塔である。
この塔は高野山を象徴する八葉蓮華としての山々の中台になぞえられる。即ち高野山の教理上の中心としての大日如来を象徴するものである。方形の初層に裳層(もこし)をつけ、覆鉢の上に屋蓋をかさねた一層塔である。塔内の五仏のうち中尊が胎蔵界大日如来、四仏は金剛界の四仏、阿閦・宝生・弥陀・釈迦の四仏で、それによって胎金両部不二の深義をあらわす。このようにこの塔は絶対仏大日如来のシンボルであり、高野山の教理上の中心である。

和歌山県教育委員会・総本山金剛峰寺

  

国史跡 東塔

指定 昭和52714

白河法皇の御願により大治2年(1127)に落慶した。中尊は尊勝仏頂で脇仏は不動と降三世両明王である。江戸時代の再建の塔が、天保14年(1843)に焼失後、140年を経て昭和58年に現在の塔が再建された。

和歌山県教育委員会   (財)高野山文化財保存会

   
国宝 不動堂

指定 昭和27329

言い伝えによれば建久8年(1197)鳥羽天皇の皇女院の御願により行勝上人がこの堂を建てたということである。鎌倉時代の和様建築であって、それ以前の住宅建築の様式を仏堂建築に応用したものである。正確な建築年代は不明であるが、仏壇の勾欄や羽目板の格狭間の形などから、鎌倉時代後期と考えられる。内陣の後に仏壇があり、来迎柱の間に板壁をつける。屋根の勾配のゆるい桧皮葺で、平安時代の寝殿造の面影をのこす。

和歌山県教育委員会・総本山金剛峯寺

  

金剛峯寺鐘楼

和歌山県指定文化財 指定   昭和40414

本鐘楼は、金剛峯寺の前身である青厳寺の鐘楼である。その構造形式から万延元年(1860)に山上の大火で類焼後、大主殿などの建物とともに、本鐘楼も元治元年(1864)に再建されたものと考えられ、桁行三間、梁行二間、袴腰付入母屋造りの形式とする鐘楼である。

和歌山県教育委員会   (財)高野山文化財保存会

 

交通
近鉄  宇治山田-難波 乗車券 1750円 
宇治山田-難波 特急券 1280円
南海電鉄 難波-高野山駅  乗車券 1230円 
難波-高野山駅 特急券 760円
南海りんかんバス 高野山駅-女人堂 210円
南海りんかんバス 警察前-高野山駅 280円
   
宿泊
櫻池院(ようちいん)
 和歌山県伊都郡高野町高野山293
 TEL 0736-56-2003    FAX 0736-56-3628
  HP  http://www007.upp.so-net.ne.jp/yochiin/top.html
  E-mail yochiin@kf6.so-net.ne.jp
 
   一泊二食つきHP予約一人部屋  12000円