(極楽橋駅---不動坂---清不動堂---不動坂口女人堂---高野七口女人堂道---祠---高野山ユースホステル) |
---徳川家霊台---波切不動堂 |
一の橋---高野山参道---中の橋---御廟橋---大師御廟---奥の院バス停 |
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2009年9月5日、6日 |
高野山町石道、高野三山・女人堂巡りをほぼ歩き終えたが、前回は時間がなくて歩けなかった道、もっとゆっくり見てみたかった参道そして不動坂をのんびりと歩きに出かけた。9月になったとはいえ日差しの強い一日だった。 |
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前日は宇治山田13時48分発の近鉄で難波まで行き、道頓堀近くの以前と同じホテルグランビア大阪に泊まった。このホテルはみなみのど真ん中の喧騒の地域にあるが、中は近代的で快適。すぐ近くを道頓堀川が流れていて、リバークルーズが運行されていた。早めの夕食を食べて、夕日の頃、6時15分発の船に乗った。昼間は暑かったが、もう9月。夕方になると川には涼しい風が吹いて、心地よかった。太左衛門橋、相合橋、日本橋で船はUターンし、先の橋をくぐって、戒橋、道頓堀橋、新戒橋、大黒橋、深里橋、浮庭橋をくぐり、この先でUターンして船着場に戻ってくるコース。ビルの向こうが赤く染まり、いいタイミング時に船に乗った。帰るころには、川辺のネオンがついてきれいだった。落語家ガイドが、大阪らしい一味違う案内をしてくれて思わぬところで大阪を楽しむことができた。 |
翌朝早く難波6時30分発南海電鉄に乗って橋本経由で極楽橋駅に8時6分に到着。8時18分に極楽橋駅を出発して不動坂を登り、不動坂口女人堂に出た。ここから高野七口女人堂道を通り、黒河口女人堂跡方面に向かい、高野山ユースホステル横に出た。(10:00)。高野山役場前をとおり、徳川家霊台に立ち寄った(10:12)。ここには一代目将軍家康(写真)と二代将軍秀忠(写真)の霊屋があった。三大将軍家光によって建立され、10年以上の歳月を費やして建てられたといわれている。細部にいたるまでほどこされた彫刻や飾金具は技巧をこらした美しいもので、重要文化財に指定されている。この後波切不動堂により(10:25)、すぐ前のバス停から奥の院口までバスで行った。 |
前回駆け足でまわった高野山参道の墓所を今回はのんびり、じっくりと見て回った。歴史上の有名人物が次々現われてとにかくこの墓所のスケールの大きさにはびっくり。おまけに現在の日本を代表する企業の墓所も連なり、驚き。でもゆっくり見ていると季節がら蚊にくわれてたまったものでない。一の橋を10時55分に出て大岡越前守、紀州徳川家、武田信玄、薩摩島津家、石田光成、明智光秀、豊臣秀吉、織田信長、春日局などの墓所が次々を現われてくる。徳川家康の次男結城秀康の石廟がちょっと変わっていて目をひいた。その他高麗戦争、大戦の戦没者、阪神淡路大震災の犠牲者の碑もあった。中の橋(写真)、御廟橋(写真)を渡り、御香の匂いが絶えない大師御廟に参って、12時25分奥の院バス停に着いた。 |
ここから12時38分発の高野山駅行きバスに乗り、この後、ケーブルに乗り、13時28分極楽橋発南海電鉄に乗り継ぎ、14時50分に難波駅に着いた。15時5分発の近鉄で宇治山田には16時56分に無事到着。 |
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