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JR江住駅---里野の浜---木の本神社---和深駅---舟並港---田子駅---野なぎの道分け地蔵--新田並橋---立江地蔵---北向地蔵---串本海中公園前---高濱トンネル
     
2007年10月13日〜14日  曇り時々雨
   
今年の6月に江住から串本まで歩いたが、あいにくの大雨で、とても古道の標識を探しながら歩く気にならず、ほとんど国道42号線を歩いたので、今回はそのリベンジで再度同じ区間を歩いた。今回は9月に小辺路を歩いたときに手に入れた「みんなで歩こう熊野古道 大辺路・小辺路」を見ながらなので、イメージが作りやすい。この本は富田坂を歩いたとき、偶然お会いして親切にしていただいた辻田さんが中心になって書いた本だ。
13日午後からJRで伊勢市を出発して紀伊勝浦まで行き、ここから熊野交通で串本駅まで行った(JRは連絡時間が悪い)。今日は駅前のビジネスホテル串本駅前に泊まった。何より安いのがいい。それに駅の近くなので、翌日も動きやすい。天気予報を見るとなんとまたしても雨。がっかり。でも予報が当たるとは限らない。とりあえず早く寝よう。
翌朝、窓から見るとやはり雨。でもそれほど強い雨ではなさそう。朝食を済ませ、7時59分発JR普通列車で江住駅まで行った。江住駅に8時25分に着いた(写真)。江住の町中を通り、ミノノミ谷を通り(8:38)(写真)、国道に出た。すぐに左手に大辺路の道標に従い草が被い茂る地道を行き、又国道に出た。この道もきっと辻田さんらが切り開いた道なのだろう(写真)。国道沿いの宇の平見の地蔵を左に見て(写真)(8:50)、カツエ坂に入る手前を少し右に降りると中平見の地蔵があった(写真)(9:00)。国道から左に入ってカツエ坂へと向かった。畑の中の道を通り、すぐにこの道は再び国道に出た(写真)。ここに出て前回このカツエ坂を串本側から江住側に間違えて歩いたことを思い出した。バス停「大平見」近くには左手に大平見の地蔵を見て(写真)(9:09)、左手の里野公民館のある空き地を入ってその奥の細い道を下り、里野の浜に降りる道を下った(写真)(9:13)。こんな細い道は本がなければ絶対にわからないと思った。坂を下りると視野が開け、きれいな海岸線が見えてきた(9:20)。ここで一休み。海岸線を見ながら歩き、再び国道へ出た。今度は国道を左にとり(写真)、木の本神社に向かって地道を歩いた(9:51)。少しだが石畳も残っていた。掘割を過ぎると墓地があり、この入り口に地蔵、徳本上人名号碑があった(写真)(9:57)。畑の横を通り、木の本神社を右手に見て(10:02)、石段を下ると再び国道に出た(10:05)。国道を行くと右手に赤い鳥居の金毘羅さん(10:11)。この先でJRをくぐり、その先の熊谷バス停横には地蔵があった(写真)(10:13)。バス停のすぐそばを左に入ると大日如来の石があったが(写真)、本当に小さな石でうっかりすると見逃してしまいそう。国道沿いに地道が走っていて、階段を登ると集落にでた。この畑と家の間をとおり、階段を降りると国道が見えてきた。すぐに国道から離れ、国道の下をくぐりり抜けてJR和深駅に着いた(写真)(10:28)。ここで駅の休憩所で休んで、昼食のおにぎりを一個食べた。10時43分に和深駅を出発。ここまでぽつりぽつりと雨がたまに当たるだけで一応雨具を着ていたが、何とかほとんど濡れずに来た。
和深駅から町中を通り、階段を登って、両側に家が並ぶ旧街道を通ると舟並港が見えてきた(写真)(10:58)。港が見える階段上に地蔵があり(写真)、大漁の感謝の意味でお祭りされた地蔵だそうだ。港に出る手前を左に曲がり、国道42号線をくぐり、又一旦国道に出て渡り、舗装路を左折。すぐにコンクリートの坂があり、大辺路の道標がある(11:10)。林の中、空き地を通って木が覆い茂る山道に入っていった。石畳の残る急な下り坂を下りると小川にたどり着き、ここに丸太の橋があるので、これを渡った(11:22)。石垣のある小川沿いを進むとまもなく小さな地蔵が道の脇にあり(写真)、すぐ国道に出た。国道を少し歩くとやすいモータースの向かい側、左にコンクリートの階段があり、大辺路の道標があった(写真)(11:30)。ゲートボール場の横を通り、畑と民家の間を通って階段を降り、安指のバス停近くの国道に出た(11:40)。この脇に六字名号碑がある(写真)。しばらく国道を歩き、安指港手前の細道を左に入り、JRの高架をくぐり、山道へと入っていった(11:45)。登り坂を登りきった所に墓地があった(写真)(11:52)。この墓地の手前の道にごみが捨ててあり、道がわからなくなっていたので、山肌を登りえらかった。墓地から民家の間を歩き、階段を下ってJR田子駅に着いた(写真)(11:59)。田子駅の前を通り過ぎJRの下をくぐって一旦国道に出た。平見下バス停を左に入り、ダイビングショップの横を通ってトンネルをくぐり(12:13)、川?を渡って山道へと入っていった。イノシシよけの板、民家の庭を通り、石の階段を登ると石畳の説明版があった(12:15)。この先は掘割や石畳が残っている林の中の古道らしい雰囲気が残っている道だった。急な下り坂を降り、狭いトンネルをくぐると(写真)(12:36)「田子の浦」のバス停近くのガソリンスタンド横に出た(写真)(12:40)。ここから田並まではほとんど国道42号線と歩いた。一部歩道がないところがあるので要注意。徳大明神社(写真)(12:59)、バス停のう凪前の可愛らしい野なぎの道分け地蔵を通り(写真)(13:18)、田並橋前のコンビニのベンチでもう一つ持っていたおにぎりを食べた。前回歩いたときここのトイレが広くてよかったのでここで一休み。ここから新田並橋を渡り(13:50)、民家の間を通って地道へと入っていった。この入り口にも何体かの地蔵があった(写真)(13:54)。旧道にもどったり、でたりしながら田並の大辺路街道が有田まで続いていた(写真)。石畳、石垣の残る雑木林の間を行くと田並と有田の境界道標と説明版があった(写真)(14:16)。ここから階段を降りて一時旧道を歩いた。立江地蔵の横から再び古道に入り(写真)(14:21)、林の中、畑の横を歩き、コンクリートの階段を降りていった。この途中に高場平見の展望台への道があり、2、3分で海が見える展望台に着いた。コンクリートの階段までもどって降りると有田湾が目の前に見えた(14:37)。国道を横断して民家の中を通り、又国道へ。国道沿いの徳本上人六字名号碑の角を左折し(写真)(14:54)、民家の中を通って右にコンクリートの壁があり坂を登ると貝岡の道標があった(写真)(14:57)。舗装した道をを行くと右手に北向地蔵があった(写真)(15:00)。ガードをくぐると国道に出た(15:04)。これで逢坂山トンネルの上を通ってきたことになる。すぐに右手に串本海中公園が見えてきた(15:08)。駐車場入り口にある澤信坊の道標地蔵を写真に撮り(15:11)、高濱トンネル横の洞門にここから向かった。旧道の下に残っている昔の通り穴で、お大師さんが杖で一突きしてこの穴を開けたという伝説もあるらしい(15:20)。海中公園センター前15時47分発の熊野交通のバスでJR串本駅に行き、普通列車で紀伊勝浦まで。ここで南紀特急に乗り換えて多気経由で、伊勢市に20時頃着いた。
今日のコースは国道から古道に入ったと思えば、又国道に出るというコース。古道の出入り口にある道標と「みんなで歩こう熊野古道 大辺路・小辺路」のイラストマップが頼りで、これがなかったらただ国道を歩くだけのつまらないものになっていただろう。そして一歩古道に入るとすぐ近くに車の音が聞こえているにも関わらず、思ったよりも険しい山道だった。でも石畳や掘割がいい雰囲気の所が随所にあり驚いた。これからも古道を発掘していく予定とのこと刈り開き隊の皆さん頑張ってください。