大辺路

  
平見下から田子の浦へ。
石畳について  案内板説明から
石畳が造られたのは、街道整備が本格的になった近世だと思われるが、正確には不明である。工法は時代によって異なり、補修が度々行われているので、現在残っているのは、その補修された時代の技術を保つものである。石畳は、多雨地帯の中で、土砂の流出と、草の繁茂を防止することが目的であったと考えられる。道路部分を低く掘り下げ、周囲の山から掘り出した石を、隙間ができないように敷き詰めていった。大辺路全体でも石畳の残存は少なく、当時の排水を考慮した道を知る上で貴重な存在である。