祓井戸観音  2008.4
   
祓井戸に、千手観音を安置している堂がある。西向寺と称し、野島の観音寺の説教所であったとも、また同寺住職の隠居所であったと言われている。ここに観音由来書一巻があった。(今は行方不明)下に井上豊太郎が書下し文に改めた「祓井戸観音来由」を記す。
伏して思んみるに諸仏菩薩の世に出で給うこと時機を待つばかり、この土に出現します然らば時機相和せざればもっとも感応現れ難し。謹んで故事を尋ぬるに、そもそも当地は天地開びゃくの暁を待って穢土に出現しまし有りたる十一面観音菩薩の霊場なり。末世の衆生二世盲闇の晴るるを請わん為、大慈大悲の御方の仰せの趣、観世音の尊像を三拝九拝して御経を読誦なされ満暁に至るや、何処にかよりともなく金色の熊一匹来りて尊前に頭黙して乗御発駕を相待つあり。これより権現、幾の難所をこの熊に乗りて熊野に至り給う。この熊忽ち三匹に変じ三の山に入るによりて三熊野と号す。人皇第三九代の帝天智天皇御治世に当たり、大峰役行者ここにて二七日間加持、楊杖の柄にて井の形を掘らせ給ふに不思議なるかな、その伊勢皇太神宮一万度の御祓、井元なる木の枝に掛りたり。よりて祓井戸と号す。人皇第五三代の帝淳和天皇の御代、天長五癸申秋、高野山の弘法大師、二七日間参籠あり。真言陀羅尼を讃誦なされし処一人の童子忽然として現れ、黙礼して飛び去るあり、信心肝に銘じ見る人掌を合わせ、聞く者驚かずということなし。か程に尊き霊場なり。大慈大悲の御恵は骨を砕きても有難く、生死二門の戸をさして安楽を開き、現世にては七難を脱れ、終息閉眼の夕には未来の蓮台疑いなるべし。尊むべし、慎むべし。欲・垢・煩悩の三の絆を離れ、流転輪廻の迷夢晴れ、御法の海を渡る者渡りの船を得し如く誓って涅槃に着岸し、安養世界に床座して仏菩薩と快楽を同じくせん。悟情の事、拳を以て大地を打つに等し。
仁寿二壬申二月中の八日

   案内板説明より