十三塚  2008.4
   
もと祓井戸の畑地にあったが、国道改修のため現位置に移した。由緒については移転当時の碑文に
此処 祓井戸地域に在って宝筺印塔を中心にし、左右五輪の墓塔を南北一直線に約一メートルの間隔をおいて十三基の小塚が立ち並ぶ、之を十三塚又は山臥塚とも称していた。いつの頃のことか定かでないが里伝によれば、昔、出羽国 羽黒山の山伏一行が熊野詣の折柄、阿波国の海賊の為に殺害せられたのを里人憐みのあまり懇に之を葬り供養の誠を致して今日に及んでいた。今歳 紀伊国道の改修に際し、本塚移動の止むなきに至り、慈に新に地を相して移葬し碑を建てその由来を記して其の霊を慰むること然り。

   案内板説明より