斑鳩王子社  2008.4
   
天仁2年(1109)10月20日、熊野参詣途中の藤原宗忠は、「伊南」の里を過ぎて、「鵤王子社」に奉幣したと、日記に書いています。その後、鎌倉時代に熊野に参詣した藤原定家や藤原頼資も、それぞれの日記に、この王子に参拝したと記しています。江戸時代には富王子といわれ、『紀伊続風土記』では、印南荘光川村の項に載せられています。「いかるが」が「光川」に当て字され、村名になったようです。富王子社の名称は、近くを流れる富川に由来するらしく、昭和17年の刊行された『和歌山県聖蹟』では、鵤王子社が江戸時代に、この地に移転されたと述べて、旧社地を字森平にあった「大将軍神社」の跡地に比定しています。富王子社は明治時代に富王子神社になりましたが、大将軍神社と共に、印南の八幡神社に合祀されました。現在の斑鳩王子社は、昭和25年に八幡神社から分祀して建立されたものです。

   案内板説明より