有間皇子の岩代の結び松の記念碑 2008.4
   
斉明天皇4年(658)10月天皇と皇太子中大兄皇子(後の天智天皇)は紀の湯(白浜湯崎温泉)に御幸された孝徳天皇の遺児有間皇子は留守官蘇我赤兄の口車に乗せられ、謀叛のかどで捕えられ天皇のもとに護送された。その途中紀の湯を眼前に望み当地の松の枝を結び自分の命の平安無事を祈って歌を詠まれた。
     有間皇子自ら傷みて松が枝を結ぶ歌
   磐代の浜松が枝を引き結び
      真幸くあらばまた還り見む
   家にあらば笥に盛る飯を草枕
      旅にしあらば椎の葉に盛る

(万葉集巻二)

有間皇子は紀の湯で中大兄皇子の訊問に対して「天と赤兄と知る吾全知らず」と答えられたが帰路11月11日藤白坂において19才の若さで絞殺された。

案内板説明より