岩代王子跡 2008.4
   
熊野に向かう参詣道は、岩代王子から千里の浜に出ます。天仁2年(1109)、熊野に参詣した藤原宗忠は、10月21日に「石代王子」に奉幣し、その約100年後の建仁元年(1201)、後鳥羽上皇の参詣に随行した藤原定家も、10月12日に「磐代王子」に参拝しています。上皇や女院の御幸の時に、この王子社と那智浜の宮では、拝殿の坂を削って、供奉人の名前と参詣の回数を連署し、打ち付ける習わしがありました。この習わしの様子は、定家の日記のほか、藤原頼資の承元4年(1210)、建保5年(1217)の日記にも記されています。また、『新古今和歌集』には、この習わしを真似て、拝殿の長押に書き付けた。「いはしろの神はしるらんしるべせよたのむ憂き世の夢の行くすゑ」という歌が載せられています。時代は降りますが、応永34年(1427)、熊野に参詣した足利義満の側室・北野殿は、9月25日に岩代王子の前で海に潜っていた「海士」に絹布などを与えています。明治時代には王子神社となり、後に八幡神社(現、西岩代八幡神社)に合祀されましたが、旧地に社殿は再建されました。

案内板説明より