花折塚
  

片岡八郎は、大和葛下郡片岡(今の王寺町)の人で、後醍醐天皇の元弘元年大塔の宮が賊をさけて山伏姿となり十津川に来られたときのお供の9人の1人である。宮の玉置山ご通過の際、玉置庄司の兵が道を塞したが八郎は矢田彦七と共に宮の迎えを伝えてか聞き入れずに反抗したので八郎は戦死し、彦七は、このことを宮に申し上げた。(元弘2年4月中旬)八郎の屍は、この所に葬り墓前を通る人々がよく花を供えたので、世にこれを花折塚と、となえた。大正5年正5位を贈られ、それよりさき明治15年十津川村は、この碑を建てた。

説明板から