浜街道南  2005.09.25 
 
まだ残暑厳しい9月の休日に先週に引き続き浜街道南コース(成川の渡し)を歩いた。成川の渡しへつづく丘陵を越え熊野川へ出て、熊野三山の一つ速玉大社へ向かうルートで、先週よりやや長い道のりだ。(阿田和駅〜新宮駅 全長14km)
今回は私一人でJRを利用しての古道歩きだった。伊勢市駅を8:35発の快速みえ4号に乗り、多気で乗り換え、ワイドビュー南紀1号で、熊野市駅で降りた。田んぼには彼岸花が満開で、真っ赤な花がそこかしこに見え、きれいだった。ワイドビュー南紀は最前車の前と最後尾車の後が広くガラスばりになっているし、座席が一段高くなっているので展望がいい。列車の後に消えゆく杉林、山並みを見ながらのんびり目的地まで行けるの疲れなくてとてもよかった。5分ほど列車が遅れ、熊野市駅に着いたのは11:05だった。バスの時間までちょっと時間があったので(11:33発)コンビニでおにぎりを買い、昼食をすませた。阿田和駅前(道の駅パーク七里御浜)でバスを降り、浜街道南側コースを歩き始めたのは12:05、尾呂志川を渡ったのが12:26。台風17号のコースからはそれたが、その影響で高波注意報がでており、1週間前とはうって変わって、白波がたっている。ただし空は台風一過を思わせるような青空だった。持ってきた日傘をさすと風にあおられて危ないので、杖として持つことのほうが多かった。地図の古道の道がよくわからなくて、ほとんど国道42号線を道の駅ウミガメ公園まで歩き、ここで、亀を見たり、浜にでたりして一休憩。ウミガメ公園からは旧国道と思われる道を行き、途中井田庚神に寄った。さらに行くと横手地蔵という案内板がみえたのでそれに従い、山手の方へ道をとった。人家の間を坂道を登り、みかん畑と彼岸花の咲く道を進むと、見晴らしのよい道に出た。井田のみさご峠で狼煙場跡という看板があった。紀州藩の沿岸は大半が外洋に面しているので、鎖国以来外敵侵入に対して、要所の見晴らしのよい高い山の頂上に遠見番所をつくり、監視させ、いざという時には狼煙(のろし)をあげて急を知らせたとのこと。山道(険しくないはない)をしばらく行くと道の片脇に井田の一里塚があり、その少し先に横手延命地蔵沖見地蔵があった。ここに着いたのは14:18。この地蔵は病気平癒のご利益があるとして尊ばれたそうだ。ここからは下り坂で、42号バイパスの上へ出る。間違って42号線上野バス停のほうへ行くと成川の渡しへ行くには遠回りになる。このバイパスの上の高架でも道がよくわからなくて、しかたなく42号バイパスをテクテク歩き、踏み切りを越え、42号線にでた。あまり広くもない車の往来の激しい国道を歩くのは危険だし、快適とはいえないので、少し遠回りをして熊野川の河原を歩いた。対岸にはこんもりしたした山とその向こうに新宮の町並みが見えた。近いほうの小山が新宮(丹鶴)城跡、遠い方の小山が熊野速玉大社とのことだ。熊野川下流の方向には鵜殿村にある紀州製紙の煙突が見えた。ちょうど船が3艘川辺にあったが、このあたりが成川の渡し跡なのだろうか。JRの橋の下を通り、国道に上がり、熊野大橋を渡った。川を渡ったところを右折して、速玉大社への参道を進んだ。熊野三山の一つ世界遺産熊野速玉大社へ着いたのは16:05。道に迷ったり、写真を撮りながらだったが約4時間の長い道のりだった。境内には天然記念物の楡の木があった。お参りをしてJR新宮駅に向かったが、まだ列車の時間まで少しあったので、丹鶴城跡、徐福公園へも足をのばした。丹鶴城跡は夕方でひっそりしていて、趣のあるなかなかいい場所だった。春にはたぶん桜がきれいな場所なんだろう。今日は約5時間歩きっぱなしだったが、坂道があまりないし、風があったので、思ったほどは疲れなかった。新宮発17:28のワイドビュー南紀8号で多気まで行き、そこから普通列車に乗り換えて伊勢市駅に着いたのは20:00少し前だった。