平緒王子跡  2008.7
   
平尾王子とも書かれています。後鳥羽上皇や修明門院の御幸に随行した藤原定家や藤原頼資は、日前宮奉幣使として、日前宮に赴いたため、和佐王子社とこの王子社には参拝していません。定家は日前宮から奈久智王子に向かい、この王子社には先達が奉幣しています。僧実意の日記(『熊野詣日記』)、応永34年(1427)9月22日条によると、足利義満の側室・北野殿は、川辺で垢離を行って身心を清め、和佐峠で休息したのち、山東(和歌山市)に泊まっています。この王子社は、天正13年(1585)の羽柴秀吉の紀州攻めで衰退したといわれ、その後再建されて、「平緒王子社」と呼ばれていましたが、明治時代に都麻津比売神社(つまつひめ)に合祀されました。

案内板説明より