奈久智王子跡  2008.7
   
この王子社名を、藤原定家は「奈くち」藤原頼資は「菜口」とそれぞれの日記に書いています。定家や頼資は日前宮に奉幣ののち、満願寺(和歌山市寺内)に立ち寄り、ついでこの王子社に参拝しています。王子の所在地については、ここから約1.5キロメートル南の、薬勝寺付近とする説もあります。これは、薬勝寺付近が、かつて「郡口郷」と呼ばれていたことによるもので、『紀伊続風土記』は、薬勝寺村付近を比定しています。当地を奈久智王子跡とするのは、『紀伊国名所図会』に「奈久智の王子社、奥須佐村にあり」、『紀伊続風土記』奥須佐村の項に、「王子権現の社面二間妻一間半板葺にてありしに、今退転す」を、根拠にしたからです。しかし、どちらが本当なのかは、現在では不明です。頼資の日記によると、この王子社についで、垂鞭・柏原・松坂(大野坂)・松代・菩提房・祓戸(鳥居)等の王子社がありました。

案内板説明より