由緒: |
天押帯日子命は第五代孝昭天皇の皇子であり、春日の朝臣彦国茸命の庶族がこの地に在住し、祖神としてまつったのがはじまりである。
聖武天皇より御代々の勅願所であり、桓武天皇の延暦二十一年、正一位大春日大神の称号を賜り、社領九町六反の御寄付があったが、豊臣公検地の時没収された。
元弘二年、大塔宮護良親王が熊野へおしのびの時、当社へ御参篭になり、神主三上美作ら大野十番頭が警護し、親王を神殿にお隠し申しあげるということがあり、今も神殿三扉の一つは空位である。
当社御鎮座当時の古縁起巻物、御証文、神宝等その多くは、明徳二年、大野城主山名氏が大内氏と合戦を交えた際紛失し、その後天正五年八月、大野干潟大乱の時、御証文、旧記録請書等は、紛失を恐れて高野山花王院へ預けられたが、火災によってまたも焼失した。
「本社は、天正十三年、元春日という神林より現在の三上山に移転鎮座したため、中古より春日山と称されるようになった。 |
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