居の渡し場跡---渡し舟--仏坂---茶屋跡---不動尊---地主神社---周参見王子神社---JR周参見 
2007年4月28日〜29日
大辺路仏坂を越えるのが今回のコース。前回の富田坂の続きを居の渡し場跡からJR周参見駅まで歩く。
4月28日午後、宇治山田駅を12時47分の近鉄特急で出発、鶴橋を経て、15時20分天王寺発スーパーくろしお21号で紀伊田辺まで行った。JRが事故のため遅れて発車し、16分ほど予定より遅くなった。夕食はホテル下のスーパーで買ってきた弁当で寂しく済ませた。
15日、朝食を食べ、8時前にはホテルを出た(写真)。徒歩でJR紀伊田辺駅まで行き、8時15分発の日置駅行きの明光バスに乗った。時間がちょうどいいし、乗り換えもないと思ったのでバスを選んだが、時間がかかるし、値段もJRを利用するより高い。しかし、JRの本数も少ないのでどっちにするか迷うところ。バスの乗客は私一人。山道を遠回りするので居バス停まで1時間半。
居の渡し場跡では予約してあったので船頭が2人待っていてくれた。船頭姿をしてもらって記念撮影をしてもらい、舟をこぎだすと、数分で向こう岸に着いた。透明度がいいので川底が見えてきれいだった。一人500円で乗船記念手形付き。10時少し前から仏坂を登り始めた。最初から急な登り坂が続くが、30〜40分でかつら松跡を過ぎ、仏坂茶屋跡に着いた(10:33)。仏坂も500mおきに道標があり(写真)、道がわかりやすい。この茶屋跡を過ぎるとすぐ一旦林道に出て、又すぐ階段を登って山道に入っていく。ここからしばらく平坦な山道が続く。50分ほど歩くと、今度は急な下り坂(11:30)。ここで一休みして靴のひもを締めなおした。登りは息が上がってえらいが、下りは滑らないように、足を痛めないように、登りより気を使うので疲れる。かなり急なところでは蟹さん歩き。一部で石畳らしきところも残っていたが、伊勢路のほうが立派な石畳だ。入谷不動尊を過ぎ(11:51)、12時3分に入谷側登り口に降りた。すぐ横の道を地主神社の方に寄り道してもとの県道に戻った。
ここからは太閤川、JRを横に見ながら、県道222号線を周参見に向かって歩いた(写真)。今通ってきた仏坂だろうか、後ろに見える新緑の山々が美しかった。県道脇の石の階段を登って大師堂に寄り道した(12:30)。上には祠と墓石があった(写真)。150段の石段は結構きつかった(写真)。堀切の踏切を渡って(12:51)(写真)、JR、太閤川と離れ、周参見の集落内に入っていった。周参見王子神社でコンビニで買ってきたおにぎりの昼食を食べて、周参見小学校横の周参見代官所、奉行所跡を見て、ちょっと道に迷い、JR周参見駅には13時35分に着いた(写真)。急いで14時15分発の特急に切符を変えた。少し時間があったので、蔓福寺まで急いで往復した(写真)。
JRは急患のため5分ほど遅れて到着。思ったより早い列車に乗れたのでわが家に早く帰ってきた。春のすがすがしい一日を新緑の中で峠越えができた。

 

仏坂
仏坂の登り口のここに舟着き場があり、人々は渡し舟で川(日置川)を渡って、安居・周参見を通行した。渡し舟は昭和29年(1954)9月まで対岸から行き来していた。江戸時代に紀州藩主や三宝院門主が大勢の随行者を連れて通る際は、舟を横に並べてその上に板をのせ、船橋にして渡った。ここから1.5kmほどの上り坂はかなり急で、登りきったところにかつら松跡がある。
  
かつら松跡

江戸時代に仏坂のここにあったかつら松という松は、かなり有名だったようで、元禄2年(1689)の「紀南郷導記」には「かつら松の坂」、寛政年間の「熊野巡覧記」には「峠に桂松有り」としている。また、「熊野街道沿村取調私記」では「かつら松、一里塚松の内」と記していて、かつら松が一里塚の松であったことが知られる。ここの一里塚は、和歌山から25里(百キロ)の地点にあたる。

   

仏坂茶屋跡

江戸時代には、紀州藩主や、三宝院門主などが大辺路を通行する際、高い峠の上に、接待をする茶屋が臨時に設けられた。ここも多分そうした場所であったが、明治期に人々の通行が多くなって、常備の茶屋が開かれ昭和13年(1938)ごろまで営まれた。大正3年(1914)には茶屋のそばの広場(現在では林道で切断)で牛市が開催され、昭和17年(1942)に市場が矢田地区に移るまで、偶数月の15日の市の日は大勢の人で賑わった。
   
不動尊
いつの頃からかここにまつられている不動尊である。石像には、「願主周参見浦 明治38年(1905)6月吉日」と刻まれているが、台座石には「文久二戌(1862)三月」とあり、不動尊が風雨によって摩滅しては取り変えられ、いまのは何代目かであろうと思われる。もとは露天にさらされていたが、戦後地元入谷の人たちによって祠がつくられた。不動尊は修献道では重視されていたのであり、大辺路が、山伏にとって由緒のある街道であったことを物語るものであろうか。
   

仏坂上り口

仏坂は旧大辺路街道の一部で周参見・安居間の街道です。昔は安宅坂を越えていましたが、江戸時代頃からここを通るようになりました。今は廃道となって道の不明に近い所もあり、最後は日置川によって遮断されています。

   
地主神社
ここは「ジノシ(地主)さん」と呼ばれ、入谷地区の神社として古くから祭られているが、社殿がないのが特色である。背後の巨岩を含めた森全体が神体とされていたようで、それはいまも祭壇の中央に立つ神木のサカキによって象徴されている。熊野地方には、神は大樹や巨岩に宿すとする素朴な自然信仰から、社殿を設けずに祭るとこがすくなくなかった。各地にあった矢倉神社などがそうで、この地主神社もそれと変わりがない。しかし、このようにいまも残っているのは全く珍しい。
周参見代官所・奉行所跡
江戸時代の周参見は、口熊野の中心地として非常に栄えました。それは、この場所に口熊野の行政・司法・経済を支配する、周参見代官所が設けられていたからです。
口熊野は紀州藩の直轄地で、代官は和歌山から派遣されており、現在のすさみ町を中心ににして、日置川町・中辺路町の一部・大塔村の一部・白浜町の一部・串本町・古座町・古座川町・那智勝浦町の一部が総括されていました。
これらの地区から、紀州藩に上納される年貢米は、すべてここに集められました。現在の周参見小学校の職員室の付近は、そのための米倉の建っていた場所です。
代官所の本館はこの屋敷内にあり、この看板に向かって左側の「○木」は「代官所の庭の○木」として明治43年刊行の「周参見村郷土誌」に記載されています。
   平成10年

すさみ町教育委員会

 

  

   

   

参考資料
紀伊田辺シティプラザホテル
〒649-0022  和歌山県田辺市東山1-5-32
TEL  0739-24-0400
シングル朝食付き 6300円
    
西日本JRバス   0739-42-3005
龍神バス       0739-22-2100
明光バス      0739-22-0594
   
宇治山田--鶴橋(近鉄)      乗車券 1750円 特急券1280円 
鶴橋--紀伊田辺(JR)        乗車券 2940円
天王寺--紀伊田辺、白浜(JR)  特急指定券 2390円
周参見--鶴橋(JR)         乗車券 3260円
周参見--天王寺(JR)        特急指定券  2390円
   
紀伊田辺-安居 バス 1100円
安居渡し舟 500円/人