周参見代官所・奉行所所在地跡
   
説明板から
江戸時代の周参見は、口熊野の中心地として非常に栄えました。それは、この場所に口熊野の行政・司法・経済を支配する、周参見代官所が設けられていたからです。
口熊野は紀州藩の直轄地で、代官は和歌山から派遣されており、現在のすさみ町を中心ににして、日置川町・中辺路町の一部・大塔村の一部・白浜町の一部・串本町・古座町・古座川町・那智勝浦町の一部が総括されていました。
これらの地区から、紀州藩に上納される年貢米は、すべてここに集められました。現在の周参見小学校の職員室の付近は、そのための米倉の建っていた場所です。
代官所の本館はこの屋敷内にあり、この看板に向かって左側の「○木」は「代官所の庭の○木」として明治43年刊行の「周参見村郷土誌」に記載されています。

平成10年  すさみ町教育委員会