一岡神社  2008.1
   
第29代欽明天皇の御代(西暦539)悪疫日に増して激しく流行するに及び、時の長人一岡神社に平癒祈願うぃなさしめたる処、神徳顕著に現証され、その寄徳を仰ぎ、山城国に御分霊を斎して疫病除け祈願の神と定められたという。その後第33代推古天皇の御代、西暦592年に厩戸皇子(聖徳太子)はこの地に七堂伽藍を建立、海営寺と称し一岡神社を海営宮と改め鎮守神として御供田三反歩を供して崇敬され、又後の第45代聖武天皇の御代(西暦724年)高僧行基は社の南に一大溜池を築造、海営宮池と名付け神社、寺共に修復されしが、第106代正親町天皇の御代天正5年(西暦1577年)織田信長の兵火に罹り焼失、その後第107代後陽成天皇の御代(西暦1596年)に村民氏子によって新築再建。その昔は正一位の神階を賜り境内3238坪、境内外実に6760坪に及び、尚1500坪のお供田を有し日根郡内唯一の大社として栄え祇園さんとして親しまれ現在に至っております。
案内板説明より