山中小学校跡  2008.1
   
明治5年、学校制度により各地にあった寺子屋が廃止され、明治6年に小学校が設置されることになったが、山中村は通学が非常に困難であったので、当時の戸長(村長)が堺県令(知事)に掛け合い、交渉を続けた結果、この地に小学校を設置することが認められ、堺県第五十一番小学校が建てられ、後に現在の場所に移るまで62年間、ここに小学校があった。

案内板説明より