鮎川王子跡
富田川沿いの王子を訪ねながら行きます。この王子は富田川北岸にあり、今は国道311号線の脇にひっそりと建っています。古には熊野参詣の人々が何度も富田川わ渡りながら遡ったといわれています。
   
鮎川王子跡 案内板から
藤原定家は、建仁元年(1201)10月13日、この王子社に参拝し、日記には「アイカ王子」と書いています。鮎川王子と記されているのは、承元4年(1210)に熊野に参詣した藤原頼資の日記です。アイカも鮎川も、合川(川が合流するところ)に由来するようです。頼資は修名門院に随行して熊野参詣をしたのですが、鮎川付近で災難に遭遇しました。4月28日、大風雨の中、田辺を出発した一行は、石田河の一ノ瀬を渡ったころから、川が増水しはじめ、頼資は鮎川王子に辿りつきますが、六の瀬の付近で溺死者が出たのです。随行した公家の従者等9名が命を落とし、女院も急遽予定を変更して、真奈子(中辺路町真砂)に宿泊しています。江戸時代には王子社といわれ、拝殿を備えていましたが、明治時代に住吉神社に合祀されました。跡地は、その後崩壊して原形を留めず、石碑が建つのみです。