藤原定家の歌碑
のごし橋のふもとにあります。
   
藤原定家の歌碑 案内板から
建仁元年(1201)後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した歌人、藤原定家の「後鳥羽上皇熊野御幸記」がありますが、10月5日に京都を出発し先陣として各宿所に入りながら、12日目には「御所は美麗にして河に臨み、深淵あり」という田辺御所に入り、明けて13日、天明に御所にまいり、早出して秋津王子、丸王子(万呂王子)、ミス王子、さらに八上王子、そして昼には昼養宿所である稲葉根宿所で休息し、岩田川(富田川)水垢離をしながら、一ノ瀬王子へ参り再び石田川を渡ってアイカ(鮎川)王子を拝して13日の宿所である滝尻王子へと歩を進めています。
鮎川王子から瀧尻王子までの道程を「河の間の紅葉の深浅の影、波に映じ、景気殊勝なり、次に崔嵬の険阻を昇り瀧尻宿所に入る」と記され、夜の歌会では、河辺の様子を「そめし秋を くれぬとたれかいはた河 またなみこゆる 山姫のそて」と詠んでいます。
今は河辺まで植林されたり、道路も施設され様子が一変しておりますが、古道を辿って行くうちに所々に往時の面影を残す岩場や道へ敷石された箇所が目にできます。