千里王子神社 2008.4
   
古代から近世にかけて花山法皇や後鳥羽上皇、紀伊藩主、田辺領主が参詣された王子社。
現在の本殿は安永5年(1776年)に再建されたもので、熊野九十九王子社の本殿の中でも、切目(きりめ)、三鍋(みなべ)王子社と共に古い建造物です。(県指定史跡)
  
千里王子
千里の浜は、『枕草子』に「千里の浜、ひろうおもひやらる」と書かれているほか、『伊勢物語』『大鏡』『保元物語』など、多くの文学作品に登場する景勝地です。『大鏡』には、花山天皇が熊野参詣の途中、千里の浜で病気になり、海岸の石を枕にしてお寝みになった、という逸話を載せています。確かな記録では、天仁2年(1109)10月21日、藤原宗忠が昼食のついでに、海水を浴びて塩垢離をしています。千里王子の初見は、藤原定家が後鳥羽上皇の参詣に随行した時の日記で、建仁元年(1201)10月12日に参拝しています。なお、定家は、その後、近露(現・・中辺路町)で行われた歌会で、「くもきゆるちさとのはまの月かげはそらにしぐれてふらねしらゆき」という、千里の浜にちなんだ歌を詠んでいます。また、承元4年(1210)、修明門院の参詣に随行した藤原頼資も、4月27日に千里王子に参詣しています。この王子社は、室町時代には「貝の王子」とも呼ばれたようで、応永34年(1427)、足利義満の側室・北野殿の参詣の際には、浜辺で拾った貝を、王子社に奉納しています。江戸時代には、紀州藩主徳川頼宣が、寛文4年(1664)に拝殿を建立して復興に尽くしました。明治時代には、千里王子神社となり、その後、須賀神社(南部川村)に合祀されましたが、安永5年(1776)建立の本殿は残されました。この社殿は、建築年代の確かな王子社として貴重です。

   案内板説明より