三鍋王子神社 2008.4
   
この王子社は、『中右記』天仁2年(1109)10月21日条に「南陪山を越え、王子社に奉幣」と書かれているのが初見です。『中右記』は藤原宗忠の日記です。藤原定家は、承元4年(1210)に熊野に参詣し、いずれも三鍋王子に参拝しています。vはこの年、2回熊野に参詣しました。1回目は、修明門院に随行し、2回目は個人的に参詣したのです。この2回目の時、三鍋王子で奉幣の儀式の際に、まどろみ、夢の中に熊野権現が現われたと日記に記しています。近世には、王子権現社と呼ばれ、南部三社の一つとして、村民により立派な社殿が建立されましたが、明治時代の神社合祀で、現在の鹿島神社に合祀された際、本殿もこの鹿島神社に移され跡地には小祠が建立されています。

   案内板説明より

 
境内には、小栗判官が水を飲んだと伝わる小栗井戸の井桁が残っている。