有間皇子史跡  2008.2
   
今から千三百数十年前、孝徳天皇の皇子であった有間皇子に皇位継承を巡る複雑な争いの中で、十九才の若さで散っていった悲運な方です。政敵であった中大兄皇子が蘇我赤兄をさそい有間皇子に天皇に謀叛をすることをすすめました。うまくわなにかかった皇子はその釈明のため牟娄(白浜)の温泉にいる斉明天皇のところに参り、その帰路この藤白坂で絞殺されてしまったのです。途中で皇子の詠まれた
 ”家にあら(れ)ば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る”
 ”磐代の浜 松が枝を引き結び 真幸くあらば また還り見む”
の二首が万葉集にのせられていますが絶唱としてひとびとの涙をさそいます。ここから200メートル西の藤白坂の上り口に、皇子の墓と佐佐木信綱博士揮毫の歌碑がありますが、有間皇子神社はその御魂をお祀りしております。境内の歌碑(雑賀紀光筆)と、歌曲碑(打垣内正曲)の
”藤白の み坂を越ゆと 白たへの わが衣手は ぬれたけるかも”
の歌はそれから43年後、持統、文武 紀の温泉行幸の途次、お伴の人が皇子への同情と追慕から詠んだもので、これも万葉集にのせられています。

案内板説明より