橘本王子跡  2008.2
   
藤原定家や藤原頼資等の日記に、「橘本王子」と書かれているのが、この王子です。定家や頼資の熊野参詣より100年前の天仁2年(1109)11月6日、藤原宗忠は熊野参詣の帰り道に、橘本王子社の前から、塩津付近に向かい、海を渡って、和歌浦・吹上浜を見物したと、日記に書いています。江戸時代には「橘本王子」と書きましたが、『紀伊続風土記』によると、王子は村の北にあって、土地の人は「本」の字を略して、橘の王子と呼び、また、白河法皇が参詣の時に、この王子社に通夜して「橘の本に一夜の旅寝し入佐の山の月をみるかな」という歌を詠んだと伝えています。現在はこの阿弥陀寺の境内に、その跡をとどめるのみですが、室町時代の永享9年(1437)王子社の社殿を造営し、江戸時代の貞享4年(1687)に屋根を葺き替えたという棟札が残されています。『古事記』『日本書紀』垂仁天皇の時代に、田道間守が常世の国から橘の木(トキジキノカクノコノミ=非時の香菓)を持ち帰ったという伝説がみえ、それをこの地に植えたという言い伝えに橘下王子のいわれがあります。橘を温州蜜柑の原種とする説に基づき、この地は紀州蜜柑発祥の地ともされています。

案内板説明より