山路王子神社 2008.2
   
山路王子神社には一壺王子跡があります。
  
藤原定家が後鳥羽上皇の参詣に随行した時の日記に「一壺王子」、藤原頼資が修明門院の参詣に随行した日記に「一坪王子」とみえるのが、この王子社です。また、頼資が後鳥羽上皇と修明門院の両院御幸に随行した、建保5年(1217)の日記によれば、10月4日、この「一壺」に小屋形が作られ、両院は昼食をとっています。この王子社は、江戸時代には市坪(一坪)王子、山路王子社あるいは沓掛王子社と呼ばれています。ここから、蕉坂峠に向かう急坂となるため、山路・沓掛などとも呼ばれたのでしょう。また、江戸時代には、この王子社は市坪・大窪・沓掛三か村の三土神でした。そのため明治時代以降も神社として残り、沓掛村の里神八王子社等を合祀しています。現在は山路王子神社となっていますが、かつては安養寺という別当寺があり、鐘楼がその名残をとどめています。毎年10月10日の秋祭りに奉納される相撲は、「泣き相撲」ともいわれ、小児の健康を願うもので、県の文化財に指定されています。

案内板説明より