山口王子社  2008.2
   
建仁元年(1201)10月9日、藤原定家は、「カフラサカノタウ下(蕪坂塔下)王子」の次に、「カフラサカ山口王子」に参拝しています。また、藤原頼資は承元4年(1210)4月25日に、蕪坂の次に宮原の王子に参拝しています。共に、蕪坂を下って最初の王子社に参拝していることから、同じ王子社と考えられます。蕪坂の麓にあるため、定家は「山口」といい、頼資は、この地が宮原庄であったことから、「宮原」と呼んだのでしょう。江戸時代には山口王子社、ありぃは鏑鎚王子と呼ばれてたようです。明治時代には王子神社となって存続していましたが、神社合祀で、蕪坂塔下王子と共に、宮原神社に合祀されました。現在の社は、平成3年に地元の愛郷会の人たちによって、再建されたものです。

案内板説明より