糸我王子社  2008.2
   
藤原宗忠は、天仁2年(1109)10月18日に、有田川に架かる仮橋を渡って、伊止賀坂を登っていますが、王子の名は、その時の日記には書かれていません。それから約百年後、藤原定家は後鳥羽上皇の熊野御幸に随行して、「いとカ王子」に参っています。「糸我」王子と正しく書いたのは、藤原頼資の日記です。頼資は修明門院に随行して、承元4年(1210)4月25日に、この王子社に参拝しています。糸我王子社は近世には廃絶していたらしく、『紀伊続風土記』に、「廃糸我王子」と記されています。また、この付近には、江戸時代に「水王子社」と「上王子社」がありましたが、地元では、上王子社を糸我王子に比定しています。両王子社は明治時代、稲荷神社に合祀されましたが、平成7年、愛郷会の人たちによって、当地に糸我王子社として再建されました。

案内板説明より