逆川王子社跡 逆川神社 2008.2
   
藤原宗忠の日記、天仁2年(1109)10月18日条に「逆河王子」と書かれているのが、最も古い文献です。藤原定家は「サカサマ王子」と呼んでいます。この王子は、江戸時代には、吉川村の氏神として祀られ、神主が置かれていたようです。明治時代には村社となっていましたが、明治43年の神社合祀で、田村の国主大明神(現、国津神社)に合祀されました。王子の名の由来は、定家が王子の近くを流れる川のことを「水が逆流しているので、この名がある」と日記に書いているように、付近の多くの川とは異なり西の海の方へは流れず、東へ流れているところから、逆川と呼ばれたのです。

案内板説明より