上古沢駅---古峠---六本杉峠---古峠---二ツ鳥居---二里石---笠木峠---矢立---袈裟掛石---四里石---大門
2009年6月13日、14日
高野山町石道は、高野山麓の慈尊院から大門を経て奥の院へ至る約24kmの参道です。高野七口といわれる七本の参詣道のうち、町石の林立するこの道は、皇族や武士達が威儀を正して上った表参道でした。慈尊院から丹生官省符神社に向かう階段の途中に町石道の起点となる180町石があり、ここから高野山町石道が始り、壇上伽藍まで続きます。上古沢から急な坂道を登り、古峠で町石道に出ます。前回の六本松峠まで往復して古峠、二ツ鳥居から大門に向かいます。
前日は宇治山田12時48分発の近鉄で難波まで行き、道頓堀近くのホテルグランビア大阪に泊まった。近くは食物屋やらパチンゴ屋、飲み屋が雑然と並んでいる喧騒とした下町だった。こんな大阪には来たことがなかったのでびっくりしたが、これがテレビなどで見る大阪南の典型的な町並みなのであろう。ホテルは昨年オープンしたばかりで清潔でシックな内装、必要なものはきちんとそろっていて、一歩ロビーへ入れば外の騒々しさを忘れるような落ち着いた場所だった。そのうえリーゾナブルな値段で満足。夕食はホテル近くでイタリア料理を食べたが、これがまたお値打ちでおいしかった。
翌朝早く難波7時12分発南海電鉄に乗って橋本経由で上古沢に8時28分に到着。ここから前回歩いた古峠まで急な坂道を登っていく(写真)。最初は古峠という近畿自然歩道の標識がしっかりしていて迷うことなく順調に進んだ。池のそばを通って、標識に従い左に曲がり、ピンクのリボンの導くままにまっすぐ進んだ。ところが、倒木が道を塞いでいるし、沢を渡るところは枯葉がいっぱいで滑らないように注意していかなければいけなかった。去年歩いた道と違って「何だかおかしい」とは思ったが、他に道もなかったと思ったし、何よりリボンがずっと続いていた。でももうとっくに古峠に着いていなければいけない時間になっていたが、道は狭くなる。そのうちリボンの先に道が見えなくなった。そこで引き返せばよかったのにもう少し道なき道を行けばその先に道があると思い、山腹を這いつくばってあがって行った。でも人の足跡はない。汗はかくし、遭難?と不安はよぎるし、「さあどうしよう。とりあえずリボンのあった場所までもどろう。」気を取り直して、滑り落ちないように山腹を下り、下の方にピンクのリボンを見つけた。とにかくそこまで降りて、考え込み、リボンのついた道をもどった。きっとどこかに見逃した登り道があるに違いない。10分ぐらい戻ると斜め上に上がる道があったので「これだ」と思い登っていった。今度の道にもリボンがついていた。でしばらく行くとこの道もやがてなくなっていった。今度はすぐ又引き返した。「もう先程の標識まで戻るしかない。それで正しい道がわからなければ今日は歩くのを中止しよう。」そう考えて急いで道を戻った。標識まで来てもう一度違った方向に行ったのではないかと見直したがやはり道は合っていた。しかし左折して数メートルのところに上古沢を指す標識があった。よく見ると先ほど行った道より狭いが、上に上がる道があった。「そうか古峠から上古沢に下る人のための標識なのだ。逆の道を行く人用にはあまり親切な標識はないのだ」と気づいた。この道を登るとほどなく古峠に到着。11時20分になっていたので、所要時間からすると約1時間30分ほど山腹をさまよっていたことになる。もうぐったり疲れて精神的にまいっていた。しかし人間、一つ目標(古峠到着)が達成できると楽観的になるものなのか、道に迷っていたときには当然「古峠から六本杉峠往復は今日は諦めよう」と思っていたのに「今日中に家に帰れればいいから何とか急いで行けないこともない」と思ってきた。古峠から六本杉峠往復を駆け足で、40分でして次の二ツ鳥居へ(12:04)。ここは前回きたところで、休憩所でゆっくりしたかったが、遅れをとりもどさなければとそさくさと昼食をして町石道を歩き始めた。ほどなく紀伊高原C.C.のコースを横目に見ながら(写真)笠木峠に12時8分に着いた。この峠からも上古沢駅にぬける道があった。三里石を過ぎ、国道沿いに道を行き、矢立の交差点で国道に出た(13:55)。ここには公衆トイレもあった。この日は蒸し暑く、道に迷ったこともあり、持ってきた1リットルの水分はもうなくなっていた。ここの自動販売機でお茶を買って一休憩。国道を渡り、14時10分矢立茶屋横の町石道を先に進んだ。六地蔵(14:11)、袈裟掛石(14:21)、押上石14:24)を過ぎて、38町石付近で展望台に出た(14:55)。袈裟掛石には隙間があり、ここをくぐれば長生きできるそうだが、この隙間とても通れそうもないほど狭かった。展望台では先に休憩していたグループの人と雑談をしばしして小休止後、先を急いだ。大門まではもう少し。どうやら当初の予定からそれほど遅れることもなく、到着できそうな見通しがついた。四里石では国道480号線に一度出るが、渡らず、すぐに山道に入り、鏡石を通って(15:21)、町石道を進んだ。新緑が美しかった。もう急ぐ必要はなかった。ゆっくり辺りの景色を見ながら、最後の階段を登って国道に出るとそこには真っ赤な堂々とした大門があった(16:10)。門をくぐり、6町石を見てバス停に着き休憩していると、16時23分発の高野山駅行きバスが来て、この後、ケーブル、南海電鉄と順調に乗り継ぎ、18時26分に難波駅に着いた。17時5分発の近鉄で宇治山田には20時55分に無事到着。ちょっとハプニングがあった高野山町石道歩きだった。

   

案内板の説明
  
世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道
高野山への参詣道は7本あるが、その中でも空海が切り開き、その後最もよく使われた主要道が「高野山町石道」で、沿道には一町(約109m)ごとに町石が建てられている。町石には壇上伽藍からの距離(町数)のほか、密教の金剛界三十七尊及び胎蔵界百八十尊の梵字、寄進者の名前、建立年月日及び目的などが掘り込まれている。もとは木製の卒塔婆が建てられていたが、鎌倉時代に各層の寄進を募り、現在みるような町石になった。220基の町石のうち179基については当時のものが遺り、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えている。
  
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道
金剛峯寺への参詣道は数本あるが、その中でも空海が切り開き、その後最もよく使われていた主要道が「高野山町石道」で、沿道には一町(約109m)ごとに町石が建てられている。町石には壇上伽藍からの距離(町数)のほか、密教の金剛界三十七尊及び胎蔵界百八十尊の梵字、寄進者の名前、建立年月日及び目的などが彫り込まれている。もとは木製の卒塔婆が建てられていたが、鎌倉時代に各層の寄進を募り、現在みるような町石になった。220基の町石のうち179基については当時のものが遺り、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えている。
  
高野山町石道
麓の慈尊院から高野山へ通じる180町(胎蔵界)と壇上伽藍から弘法大師御廟までの36町を(金剛界)高野山町石といい、弘法大師(空海)が高野山を開創されたとき、一町(109m)ごとに木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道で、鎌倉時代には覚きょう上人の発願により、朽ちた木製の代わりに20年の歳月をかけて石造の五輪塔形の町石が建てられた。
  
世界遺産 霊場高野への参詣道 高野山の町石道
空海が平安時代木製の卒塔婆を一町(109米)毎に慈尊院(下政所)から根本大塔まで180基(180尊)根本大塔より奥の院御廟まで36基(37尊)建立したものを鎌倉時代安達泰盛ももと花崗岩にて再興したものが約750年の歳月を経て今も参拝者の道標としてまた祖先の五輪供養塔となっています。お山への表参道を登山した天皇・庶民は一町毎合掌して登ったこの道はまさに「祈りの道」です。
  
矢立砂捏地蔵
このお地蔵様は、お大師様が高野山開設の頃、この地を行き来され、その時にこの地の平和と村人の健康とを祈願しお大師様自らがおつくりになられたという霊験あらたかなお地蔵さまです。欲を出さず真心でお願いすれば、あなたの願いが叶います。

参道入り口

  
弘法大師の伝承三石
袈裟掛石
弘法大師が袈裟を掛けられたといわれており、この石からは高野山の清浄結界となる。鞍のような形をしていることから、「鞍掛石」また、この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから、「くぐり石」とも呼ばれている。
押上石
弘法大師の母親が結界を乗り越え入山しようとした時、激しい雷雨が母親を襲い、親孝行の弘法大師はこの大磐石を押し上げ母親を隠まったといわれている。
鏡石
表面が鏡のように平らなことから鏡石と呼ばれ、この石に向かって真言を唱えると心願成就するといわれている。
  
史跡高野山町石五十三町石

指定年月日 昭和五十七年七月十四日  所有者 宗教法人金剛峯寺

高野山町石卒塔婆は弘法大師空海が参詣人の利便のために建立したことが始まりと伝えられています。平安時代当初の卒塔婆は木製でした。その後風雨にさらされ破損するものが多く文永二年(1265)には高野山の覚○が願主となり、後嵯峨天皇・北条時宗安達泰盛らの寄進により、文永三年(1266)から弘安八年(1285)にかけて木製のものに替わる(花崗岩)に置き換えられました。現在に至るまでには、土砂崩れや強風により倒壊したもの数多くありましたが、大正・昭和にこのように破損した町石を新たに造り再建されました。向かって左側に建っている五十三町石も当初のものが不明になっていたことから昭和三十五年(1960)に新しく造られ再建されました。同じく右側の五十三町石は建立当初のものです。平成十年(1998)転落し破損していたものが発見されたため修復し再建しました。

平成十八年八月 高野町教育委員会

  

交通
近鉄  宇治山田-難波 乗車券 1750円 
宇治山田-難波 乗車券 1280円
南海電鉄 難波-上古沢  乗車券 810円
高野山 駅 -難波 乗車券 1230円
高野山 駅-難波 特急券 760円
南海りんかんバス 大門-高野山駅 乗車券 370円
 
ホテル
ホテルビスタグランデ大阪
ダブルベッドシングルユース 7600円(ネット予約)
〒542-0084 大阪府大阪市中央区宗右衛門町5-15
 TEL 06-6212-7999  FAX 06-6212-7701
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