五十三町石
 
 
案内板から
高野山町石卒塔婆は弘法大師空海が参詣人の利便のために建立したことが始まりと伝えられています。平安時代当初の卒塔婆は木製でした。その後風雨にさらされ破損するものが多く文永二年(1265)には高野山の覚が願主となり、後嵯峨天皇・北条時宗安達泰盛らの寄進により、文永三年(1266)から弘安八年(1285)にかけて木製のものに替わる(花崗岩)に置き換えられました。現在に至るまでには、土砂崩れや強風により倒壊したもの数多くありましたが、大正・昭和にこのように破損した町石を新たに造り再建されました。向かって左側に建っている五十三町石も当初のものが不明になっていたことから昭和三十五年(1960)に新しく造られ再建されました。同じく右側の五十三町石は建立当初のものです。平成十年(1998)転落し破損していたものが発見されたため修復し再建しました。