13

高野山(千手院橋)---大滝口女人堂跡---薄峠---大滝---高谷龍神スカイライン---水ヶ峰---平辻---大股---萱小屋跡---
桧峠---伯母子岳山頂---伯母子峠山小屋---旅篭 上西家跡---水ヶ元茶屋跡---待平---三田谷
  
2007年9月22日〜24日  曇り、雨
小辺路は高野山から本宮大社まで紀伊山地を貫く山越えの道。距離は伊勢路、紀伊路、中辺路、大辺路に比べるとやや短いが、水ヶ峰、伯母子、三浦、果無と1000m以上の山越えが4個もある厳しいコースだ。 このコースは女一人では危険との周囲の勧めもあり、夫とともに出かける予定を前々からたてていた。 まず2泊3日で、小辺路・高谷山から大股まで歩いた。
9月22日午後13時29分近鉄宇治山田駅を出発して、大阪難波まで。難波からは南海電車高野山線で極楽橋まで行く。特急は橋本までだったので、ここで普通列車に乗り換え、単線の急勾配の坂を列車は奥深い山道へと登っていった。だんだん変わっていく険しい山々の風景を見ていると、「明日からの古道歩きはかなり厳しいものになるな」と感じた。極楽橋からケーブルに乗り換えて高野山に(写真)、ここからさらにバスに乗り換え、千手院橋で降り、歩いてすぐの今夜の宿、安養院に着いたのは6時頃だった。宿坊に泊まるのは初めてだった。インターネットで高野山観光協会に申し込んだ。宿は戦時中陸軍少年飛行兵の宿坊だったところで、菩提所でもあった。大きな古いお寺だが、部屋はまだ比較的新しくトイレもあった。ただし、風呂は古く、設備も旅館のような訳にはいかない。夕食は精進料理だったが、美味とはいえなかった。これで1泊2食14700円(1人)はちょっと高い。
翌日7時20分には宿坊を出て(写真) (写真)、飲料を買い、小辺路スタート地点を7時30分に出発。林道を登り、7時44分に大滝口女人堂跡、ろくろ峠に着いた(写真)。ここからなだらかな坂を、美しい山並みを眺めながら登っていくと薄峠に着いた(8:30)。左折して地道を下っていくと左手に弘法大師坐像が浮き彫りにされている丁石道標があった(8:58)。御殿川にかかる赤い橋の上で一休憩して(9:15)、次は険しい登り坂。大滝の集落で道標に従い左折(9:29)。ここにトイレがあり、又ここでも休憩(写真)。そのすぐ先に東屋のりっぱな休憩所もあった。ここを右折して登っていく(9:49)。細い道を行くと、やがて高野山龍神スカイラインに出る(10:26)(写真)。ツーリングのバイクが轟音をとどろかせて、カーブを過ぎていく。歩道がないので歩行にはかなり神経を使った。車やバイクから見ると、「こんな歩道もない道を歩いているなんて」と思うだろう。野迫川村への分岐点を過ぎ(写真)、スカイラインを進んでいくと左側に地蔵があり(写真)、やがて水ヶ峰入り口に到着した(10:58)(写真)。ここで宿坊で作ってもらったおにぎりの昼食を食べた。ここから左手の登り坂の地道をすすんでいくと(11:16)、紀伊と大和の境界にあった水ヶ峰集落跡に着いた(11:34)(写真)。明治中頃までここには宿が8軒もあったそうだが、今はわずかな石垣と防風林の跡が残るだけだった。地道を下っていくと、舗装してある林道タイノ原線に出た(11:48)。林道を進み、みどりと歴史のビューポイント(写真)、タイノ原線林道開設記念碑を過ぎて、左に登ると再び地道に入っていった(12:40)。又林道に戻り(12:48)、ちょっと行くと右手に平辻の道標があった(12:53)(写真)。この脇には道標地蔵があり、ここから再び地道を行く。30分ぐらいで又林道に出た(13:23)。林道を少し行くと古道は左折して大股へと続く(13:29)(写真)。途中から急な下り坂になり、ここを降りたところが大股バス停とトイレだった(13:56)。このすぐ前が大股橋で(写真)、橋を渡ったところから明日の出発口、伯母子岳上り口が始まっている。ここで電話をして今夜の宿ホテルのせ川から迎えに来てもらった。ホテルには14時30分前には着いた(写真)。ホテルのせ川は川原樋川沿いにある山奥にしてはりっぱなホテルだった。さっそく風呂に入ってゆっくりして今日の疲れを癒した。あまごを主にした料理はおいしかった。1泊2食付9030円。部屋も広いし、リーズナブルな料金だった。夕食後ホテルのフロントに明日の古道歩きについて尋ねたら、語り部をしたこともある方が非常に親切に色々アドバイスをしてくれて感激した。中辺路歩きのとき知り合ったボランティアガイドの方もよく知っているとのことで話も弾んだ。
翌24日は昨日よりも早く7時前には宿をでて、上り口まで車で送ってもらった(写真)(6:59).。天気予報では雲後雨。あまりよくないが、出発時はとりあえず曇り。いきなり急な坂道で息があがる。「ハアハア」いいながら萱小屋跡に7時48分に着いた。ここからホテルの赤い屋根が見えると聞いていたが、汗びっしょりの上、息もあがっているのでそれどことではなかった。するとポツリポツリ雨が降り出してきた。地道の上で手早くレインウェアーを着て、先を急いだ。8時56分に桧岳に到着。あたりは雨と靄で何も見えない。弘法大師が捨てた箸を植えると桧の大木になったという伝説が残っているが、残念ながら現存する大木は残っていない。やがて目の前に現れた伯母子岳頂上をめざす急な階段を滑らないように慎重に登り(9時27分)(写真)、9時49分に標高1344mの伯母子岳山頂に着いた。頂上には道標以外は何もなく晴れていれば、周辺の山々の景色が楽しめる予定だった。でも、靄(もや)だけ。記念撮影も道標だけ。さびしい伯母子岳山頂写真しか撮れなかった。普段なら落葉広葉樹が楽しめる山頂への山道らしい。道標に従い、伯母子岳山小屋を目指して降りていった。雨はやみそうな気配もなく、容赦なく降り続けた。小屋で休憩(10:40)(写真)。山小屋日記を見たら、昨晩ここに1人の男性が泊まり、朝早く出かけたらしい。今日はその男性と私たち2人だけなのだろうか。山小屋から上西宿跡まで片側は断崖絶壁、もう片側は奥深い山に挟まれた人一人がやっと通れるような狭い山道を登り続けた。崖崩れがあったり、倒れた大木が狭い道を塞いでいたり、それでも雨の中何とか上西宿跡まで到着した(11:35)ここは広い平地になっていて、その昔、ここには旅篭があり、牛も2頭飼っていて、畑もあったそうだ。旅篭の脇にはトリカブトと思われる紫色のきれいな花が咲いていた。古道は上西家跡から新道と最近発掘された旧道に分かれていた。右に道をとる旧道には世界遺産に登録されてから作られたりっぱな石碑が道標として建てられていた(11:42)(写真)。上西家跡に1番目の石碑があり、新道の方はロープが張ってあって入らないようになっていた。旧道の始まりの急な木の階段を登り、山こぶを下っていくと水ヶ元茶屋跡に着いた(12:47)(写真)。ここから下りで待平辺りまで石畳が続き、雨でつるつる滑るので、ゆっくりゆっくり、恐る恐る下っていったので、予想外に時間がかかってしまった。下りはかなり急だ。石畳はこのあたりで終わりかと思っていたらこの先にも所々残っていて、疲れた、疲れた。最後の急な坂を下りたところに新道との合流点があり(写真)、そこから県道はもうすぐそこに見えた。三田谷橋手前の上り口に到着したのは15時4分だった(写真)。十津川村コミュニティーバスを3時45分に三浦口に予約してあったので、あとはぼつぼつ県道を歩こうと思っていると橋を渡ってお迎えのバス(写真)。運転手さんは親切な人で、バスの中で、体を拭いて着替えるように、バスを開けてくれたので大助かり。ここから川津に出て、上野地まで送ってもらった。上野地からは17時5分発の奈良交通のバスでJR五條駅に行き、吉野口で近鉄に乗り換え、その後、橿原神宮前、大和八木で乗り換えて9時31分近鉄宇治山田駅に着いた。上野地で1時間弱バス待ちの時間があったので、うどんを食べて休憩し、谷瀬の吊り橋にも立ち寄ることができた。
雨という悪条件にもかかわらず、とにかく無事高野山から三田谷まで小辺路を歩いてこれて大満足。これも途中出会った人々のご親切なしでは考えられなかった古道歩きだった。

 

案内板の説明
  
大滝口女人堂跡(ろくろ峠)
熊野への三本の参詣道(大辺路、小辺路、中辺路)の内の一本で小辺路の始点にあたり、大滝より伯母子峠を越えて本宮へと続く。
   
小辺路(こへち)
紀伊半島中央部を南北に通り、「熊野三山」と「高野山」の両霊場を最短距離で結ぶ経路である。途中には標高1000m以上の峠を三度も越えなければならず、熊野参詣道の中でも険しい経路の一つである。この道は、参詣者や承認といった人々が主として利用した、いわゆる庶民の道として中世頃から利用された道である。
   
旅篭 上西家跡
天和二年(1682)の『熊野案内記』に「かやごやよりうえにし迄弐里、家有」と記されていることから、江戸初期には、街道上の旅篭として存在していたものと考えられる。地元古老によると、昭和九年(1934)頃まで人が住んでいたという。
旅篭「上西」のむかし「十津川郷の昔話」から
 その昔、高野からこの伯母子峠を越えて馬が米やさかなをこの十津川へ運んだわけだ。早い朝が明けると、伯母子の方からチリンチリンと鈴の音が響いて、二頭も三頭もの馬が背中いっぱい荷を積んで下ってきたものじゃった。馬子たちは、上西で一服するとしたの五百瀬へと下りていくのじゃった。高野詣の人たちが行き来していたが、毎年、春から夏にかけては、巡礼さんがおおぜい泊まり、夜の更けるまで御詠歌が止まず、それはにぎやかじゃった。上西では、牛を二頭も飼っていたし、家の周りは広い畑で、野菜もいかいこと(たくさん)とっていた。上西のナンキンとジャガイモは北海道にも負けんぐらいうまいと、客の評判じゃった。

十津川村教育委員会

   
水ヶ元(茶屋跡) 
 『熊野案内記』には、「うえにしより水が本へ半里、家有。弘法の封じ水有、故に水ヶ本と云」と記されており、この水を呑むと「心能ナラン、恩ナラン、命延ナラン、恩を知ナラン」と立札に書かれていた。
この所に老女が一人住んでいた。しかし、その姿や形は異様で頭髪は赤や白色が混じってたいそう乱れ、顔は青黒く大きなしわがあり、目は大きく光って歯は白く、その姿を見た人は恐怖を覚えた。年を尋ねると六十歳ともいい、またある人には七十とも八十とも恐ろしい声で答えた。人のうわさ話で作られた山姥というものはこのようなものであったのであろう。

十津川村教育委員会

   
待平(松平)
『熊野めぐり』に「待平水ヶ本より半里、此所は只一軒家也」と記されている。また、『吉野郡名山図志』には、「土俗云く、大塔宮十津川より都へ上がりたまふ時、村上彦四郎、遥かの後にさがりしを、この地ににて待ちたまふゆゑに、待平と云ふ。杉の木の下に、小祠有り。大塔宮の腰懸石と云ふ。」と名の由来が記されている。ちなみに大塔宮の腰掛石は見当たらない。屋敷跡については、『熊野案内記』には、「寺一軒有」と記され、他の史料によると茶店ありとの記述がある。地元古老の話では、関所跡との伝承があるという。

十津川村教育委員会

  

   

参考資料
高野山観光協会(高野山参詣講) TEL 0736-56-2616
安養院 TEL0736-56-2010
インターネット予約 1泊2食付 大人一人 14,700(トイレ付)円 ※税込
ホテルのせ川
インターネット予約 1泊2食付 大人一人(会席コース) 9030円 ※税込
奈良県吉野郡野迫川村北今西
TEL 07473(8)001   0120-112-679
FAX 07473(8)0013
MAIL nosegawa__@__juno.ocn.ne.jp
http://www3.ocn.ne.jp/~nosegawa/
   
十津川役場総務課  0746-62-0001
   
奈良交通バス      0735-62-5101
奈良交通平谷営業所  0746-64-0408
三光タクシー  0746-64-0231
近鉄
  宇治山田-難波  乗車券 1750円
  宇治山田-鶴橋  特急券 1280円
  吉野口-宇治山田 乗車券 1540円
南海電車
  難波-高野山 乗車券 1230円
  難波-橋本  特急券 500円
南海りんかんバス
  高野山-千手院橋  280円
JR
  五條-吉野口  乗車券 230円
奈良交通バス
  三浦口-上野地 750円 十津川村コミュニティーバス
  上野地-JR五條駅  1750円