小辺路 上西家跡
   
伯母子峠から険しい自然林の中を下っていくと石垣に張りめぐされた平地にでる。かつては旅籠があり、畑もあったとのことだ。今は紫色のきれいな花がたくさん咲いていた。昨晩の宿の人の話によるとどうもトリカブトらしい。こんな人里離れた山奥に咲いているとなんだか怪しげな雰囲気。
   
案内板の説明  旅篭 上西家跡
天和二年(1682)の『熊野案内記』に「かやごやよりうえにし迄弐里、家有」と記されていることから、江戸初期には、街道上の旅篭として存在していたものと考えられる。地元古老によると、昭和九年(1934)頃まで人が住んでいたという。
旅篭「上西」のむかし「十津川郷の昔話」から
その昔、高野からこの伯母子峠を越えて馬が米やさかなをこの十津川へ運んだわけだ。早い朝が明けると、伯母子の方からチリンチリンと鈴の音が響いて、二頭も三頭もの馬が背中いっぱい荷を積んで下ってきたものじゃった。馬子たちは、上西で一服するとしたの五百瀬へと下りていくのじゃった。高野詣の人たちが行き来していたが、毎年、春から夏にかけては、巡礼さんがおおぜい泊まり、夜の更けるまで御詠歌が止まず、それはにぎやかじゃった。上西では、牛を二頭も飼っていたし、家の周りは広い畑で、野菜もいかいこと(たくさん)とっていた。上西のナンキンとジャガイモは北海道にも負けんぐらいうまいと、客の評判じゃった。