紀伊山地の霊場と参詣道の碑
 
案内板から
高野山への参詣道は7本あるが、その中でも空海が切り開き、その後最もよく使われた主要道が「高野山町石道」で、沿道には一町(約109m)ごとに町石が建てられている。町石には壇上伽藍からの距離(町数)のほか、密教の金剛界三十七尊及び胎蔵界百八十尊の梵字、寄進者の名前、建立年月日及び目的などが掘り込まれている。もとは木製の卒塔婆が建てられていたが、鎌倉時代に各層の寄進を募り、現在みるような町石になった。220基の町石のうち179基については当時のものが遺り、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えている。