慈尊院
 
案内板から
慈尊院は弘法大師(空海)の母君が晩年ここに移り住んだところで、高野山へ登れないために大師自ら会いに訪れたところである。このため女人高野ともいわれたが、その後、高野山の寺領支配や諸国からの年貢を集めるために高野政所が置かれ、また皇族や貴族の休憩所、宿泊所となり、高野山の玄関口としての役割を果たしてきた。母君の墓所の弥勒堂(国重文)に安置されている弥勒菩薩坐像は、高野山創建当時の寛平5年(893)の銘があり、国宝に指定されている。