百八十町石
 
丹生官省符神社に行く階段の途中にある。
 
案内板から
高野山への道は、山に近づくにつれて互いに合流し、7つの道に集約され山内に入ってきます。その7つの道のうち、表参道と呼ばれているのが「町石道」です。大師自身が踏みしめ、過去多くの人々が参拝登山した「町石道」は、それ自体が信仰の対象とされてきました。高野山への表参道「町石道」は“祈りの道”ともいえます。
町石道の概要
九度山町慈尊院 から、高野山奥の院御廟まで約24kmの道程です。1町ごとに町石と36町ごとに里石(4本)が立ち並んでいます。
“町石”とは
高さ3m弱で五輪卒塔婆の石柱です。高野山根本大塔を基点に御廟まで36本、根本大灯から慈尊院まで180本建てられています。町数とともに山上36町を金剛界37尊、山下180町を胎蔵界180尊にあて、それぞれを表わす梵字と施主の名前が刻みこまれています。
“町石”完成まで
昔は木造の町卒塔婆が建てられていましたが、1265年(文永2年)に高野山遍照光院覚斅上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、以来20年の年月をかけて1285年(弘安8年)に200余基が完成しました。完成後700有余年の間に数度の補修で50基ほどが再建された以外は創建当時のままです。この「町石道」は昭和52年7月に、国の史跡として指定されました。