神木---横垣峠---坂本   2006年3月12日 曇りのち雨
この日は天気予報では昼から雨が降るかもしれなかったが、大降りではなさそうなので、熊野の有馬町から横垣峠登り口の神木まで本宮道をそして引き続き横垣峠と越えて坂本まで歩いた。
JR伊勢市駅を8時53分発の快速みえに乗って、多気に9時6分着。少し待って、多気を9時23分発の紀勢線南紀特急1号で熊野に向かった。定刻より3分遅れて熊野駅に11時3分に到着した。
11時15分のバスに乗って、有馬(花の窟神社前)で降りた(写真) (11時19分 180円)。どんより曇り空で、時々薄日は差すが、今日の天気は期待できそうもない。国道42号線のかどには浜街道と本宮道の分岐点を示す標識があった(写真)。ここでさんま寿司を買って(450円)早めの簡単な昼食を済ませた。ついでに100円でおやつ用に饅頭も1つ買った。ここから南西に向かって有馬の町中に出発したのは11時36分。しばらく通りの間から海と国道42号線を見ながら有馬の集落を歩いた。ほとんど車、人も通らず、静かな通りだった。JR有井駅あたりから右折し、熊野市内からくる道を横切って、たんぼの中の道を歩いた。有馬の町中を歩いてきたので、産田神社は通り過ぎてしまった。道がわからなくなり、一度国道311号線に出て、産田川を渡り、また脇道に入った。ちょうど下調べをしたくまどこのHPに載っていた三叉路に出て(写真)、ほっとした(12時21分)。ここから旧道を通って金山町に行くように書いてあったので、私もそれに従った。ただこの道は本宮道近道ではないとのことだったが、この先の標識には本宮近道(旧百松街道)という案内板があったので、この道でいいのじゃないかな?
この道を入るとすぐに左手に墓地があり、右手にはみかん畑があった(写真)。しばらくいくと緩やかな登りのくねくねした道が続いていた。一応舗装はされているが、木々に囲まれた細い道で、時折地元の車が通るだけの静かな道だった。三叉路から15分ぐらいで、木々の間から下を走る国道311号線と遠くに熊野灘が見渡せた。この坂を登りきったところには、葬儀会場、分譲地、老人ホームなどがあり、結構開発?されつつあるのかな。金山町に入って少しいくと熊野市火葬場があった(12時53分)。このすぐ前に天保飢饉の碑という案内板があったが、肝心の碑はどこにあるかわからなかった。天保飢饉のさいここを通った諸国の巡礼者にも路上で餓死する者が出て、村人は哀れに思って、死者のために供養碑を建立したと記されていた。とりあえずこの道が本宮近道で、旧百松街道であることは間違いないだろう。坂を下り始めると山桜か、可憐な花びらをつけた木は数本あり、今にも降りだしそうな空をみながら、進んでいた心にほっとした和やかさを感じさせてくれた。崖側には国道311号線を下に見て、山側には一面に広がるみかん畑を見ながら進むと、左手に金山の道祖神 百松街道トンビ茶屋跡と書いた案内板があった。ここでもその道祖神が見当たらなくて、この案内板の後の方へ回りこんでやっとその碑を見つけた(13時02分)。この頃から雨がポツリポツリ、そして少しづつ風も出てきた。カッパを着てふもとの集落に着くと交差点に石像と碑があり(13時14分)、左折すると国道311号線にでるようだった。この石碑には市木ほんぐうみちと書いてあった(写真)。その裏に金山相撲とりの案内板もあった。右手に道をとり、集落の中を通り、国道311号線に出た。この国道沿いに庚甲の碑と書いた石碑があったが、これが何を意味するやら。
しばらく国道311号線を御浜町に向かって歩いた。雨はしだいに激しくなり、がっかり。それでもめげず、というよりは歩いて先に進むよりしかたなくて、御浜町に入ってきた(13時40分)。遠くの山には桜がうすぼんやりとピンク色に染まり(まだ蕾だと思うが)、近くの公園では梅が咲いていた。ついに13時57分、神木の集落に到着。熊野古道横垣峠登り口、なかよしステーション神木には14時に着いた(写真)
ここで、お饅頭を食べて一休みしたら、又元気が出てきたので、横垣峠の途中まで行って引き返してこようと思い峠に向かって再出発!