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JR串本駅---無量寺---浦バス停---潮浜橋---鬮野川辻地蔵---橋杭岩---JR紀伊姫駅---原町の小堂---JR古座駅
  
2007年7月1日
前回の続きでJR串本駅から一旦国道42号潮浜橋までもどり、鬮野川沿いの内陸を進み、橋杭岩で再び海岸に出て、後はほぼ国道42号線に沿って歩いてJR古座駅まで行った。7月に入ってからの古道歩きは暑さのため体力を失わないようにしないと若くもないこの体にはきついとは思いつつも計画どおり行くことにした。
7月1日午前8時57分伊勢市駅からJRに乗り、多気で南紀1号に乗り換えて紀伊勝浦に到着は11時41分。ここからJR紀伊田辺方面行きの連絡列車が5分待ちであったので、これに乗り、串本に12時24分に着いた。駅を出て右折して、商店街の中を通り、途中寄り道をして、コンビニで昼食を買って、紀陽銀行手前を右折。宮川という小さな川に沿っていくと、突き当たりに無量寺が見えた(12:44)。この境内を通り抜け、串本小学校の前を通って、右折して海岸に出た(写真)(12:51)。出たところに上浦バス停がある。ここからは国道42号線を紀伊田辺方面に進み、ダイビングショップの立ち並ぶ「袋」あたりを過ぎて(写真)、潮浜橋を渡った(写真)(13:07)。ここから少しいった所のJRガードをくぐり、42号線から離れた(写真)(13:10)。
ここからは車もほとんど通らなかった。土砂置き場の中を通る道を進むと、鬮野川を渡る橋があり、小さいながら姫方面の標識があり、ほっとした(13:16)(写真)。このあたりからのどかな田園風景がひろがり、7月にしては爽やかな風を感じ、気持ちよく歩けた。どこも休憩するところがないので、立ったままでコンビニで買った昼食をして、3つほどさらに橋を渡った。鬮野川辻地蔵のある三叉路を過ぎると(13:49)、右 橋杭岩、左 古座という簡単な標識があり(写真)、橋杭岩の方の道をとり(13:50)、小さな峠を越えると、眼下に大島と串本大橋が見えてきた(13:58)。坂を降りて集落の中の道を通って海岸に出るとそこは国道42号線沿いにある橋杭岩前だった(14:03)。ちょうど饅頭屋の横に出た。以前よく串本にダイビングに来たときは、ここで昼食をとるのがお決まりのコースだった。でも橋杭岩はじっくり見物したことがなかった。今日の日程は時間的ゆとりがあるので、ちょうど干潮時だったこともあり、下まで降りて行き、橋杭岩に打ち寄せる波を見ながら、ゆっくり写真を撮った。そしてざるそばを食べ、うすかわ饅頭をお土産に買って、橋杭岩を出たのは14時43分だった。
42号線を新宮方面に行くとすぐに赤い社が見え、橋杭岩の眺めがよさそうと思い、立ち寄った。期待通り全貌が上から眺められてよかった。鬮野川辻地蔵にあったようにそのまま姫方面に古道を進むとやはり42号線に出るのだが、そこに地蔵の道標があった(14:59)。ちょうどホームセンターの前になる。ここからすぐに斜め左に国道を逸れると、紀伊姫の集落を通り、左にJR紀伊姫駅が見えてきた(写真)(15:04)。この集落を過ぎたあたりに瀟洒な建物があり、養春小学校だった(写真)。再び一旦国道に出て(15:30)、ホテルシーハウスサブマリンの横をまたすぐに左手に道をとり(15:31)、脇道を行った(写真)。やがて古座の集落となり、左手に神の川踏み切りがあった(写真)(15:52)。ここを行くと、古道の派生路である重畳山登山口へと続くらしい。集落内にある原町の小堂には15時56分に着いた。中には地蔵尊と徳本上人名号碑、法経塔がある。旧道を進み、JAみくまの西向支店につきあったところの信号を左折して、JR古座駅に着いた(写真)(16:08)。
一休みしたところで、16時19分発普通列車に乗り、紀伊勝浦に16時59分に着いた。17時12分発南紀8号で多気経由で伊勢に19時59分に到着した。

 

無量寺/応挙・芦雪館
無量寺は、天明6年(1786)愚海和尚によって再建された。
愚海と親交のあった応挙から祝いの絵を託された芦雪は南紀に来遊し、多くの作品を残した。
応挙芦雪館は昭和36年に、日本一小さい美術館として開館。応挙、芦雪の絵を中心に、室町、桃山、江戸時代の絵画、墨などのほか、近年収集の現代彫刻作品と、串本笠島遺跡出土の考古資料を展示している。
   
橋杭岩
今から1500万年ほど前(新生代第三紀中新生の中ごろ)、熊野層群とよばれる砂や泥の厚い地層が海底にたい積した。橋杭岩のまわりの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層の泥岩からできている。この地層がたい積した頃、大島から潮岬付近の海底は火成岩の隆起帯になっていた。
その後、1400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動が起こった。この活動にともなって、北北西ー南南東にのびる地層の割れ目にそってマグマが上昇して冷えかたまり、橋杭岩のもとになる直立した厚い板状の岩脈ができた。この岩脈は、石英斑岩という火成岩からできている。
やがて、すっかり陸地となった紀南の海岸は、荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩よりはるかに硬いために侵食されても残り、あたかも大島に向かって橋脚を並べたように、今もそそり立っているのである。

  

   

参考資料
熊野交通バス      0735-62-5101
串本タクシー      0735-62-0695  
JR
 JR乗車券     伊勢市-串本   3420円
 JR特急指定券  多気-紀伊勝浦       2610円
 JR乗車券     古座-伊勢市    3260円
 JR特急指定券  紀伊勝浦-多気  2610円