橋杭岩

  
橋杭岩案内板から
今から1500万年ほど前(新生代第三紀中新生の中ごろ)、熊野層群とよばれる砂や泥の厚い地層が海底にたい積した。橋杭岩のまわりの黒っぽい地層は、その中の敷屋累層の泥岩からできている。この地層がたい積した頃、大島から潮岬付近の海底は火成岩の隆起帯になっていた。
その後、1400万年前になると、大峰山脈や那智から熊野にいたる地域で火成活動が起こった。この活動にともなって、北北西ー南南東にのびる地層の割れ目にそってマグマが上昇して冷えかたまり、橋杭岩のもとになる直立した厚い板状の岩脈ができた。この岩脈は、石英斑岩という火成岩からできている。
やがて、すっかり陸地となった紀南の海岸は、荒々しい黒潮の波にさらされながらも、橋杭岩の岩脈はまわりの泥岩よりはるかに硬いために侵食されても残り、あたかも大島に向かって橋脚を並べたように、今もそそり立っているのである。