波田須の道〜波田須の集落〜大吹峠〜松本峠  20041121日 快晴
波田須の道   
雲一つない秋晴れ、母と二人で熊野古道へ出かけた。伊勢を8時30分に出発し、勢和多気インターを出ると、霧が発生していて見通しが悪くなり、ちょっと驚いた。42号線を南下し、途中休憩しながら熊野に入って大泊方面に左折、大泊駅近くの工場跡前の空き地に車を止めたのが11時。国道311号線沿いのバス停まで歩き11時22分、大泊発のバスに乗った。潮風かおる熊野古道線の東波田須で降り、波田須の道に出かけた。登り口はバス停から少し大泊方面にもどった階段を登っていく。上の方に古道の看板が見えるのでよくわかる。
ここに残る石畳は一つ一つが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉期のものといわれる。伊勢街道では一番古いもので、江戸期のものとははっきり区別できる。雨量が多いこの地方では、石材に恵まれていることもあって、道路保護のために多くの石畳道が造られた。所々に土砂流出を防ぐために「洗い越し」と呼ばれる雨水を流すための道路側溝も作られている。これら石畳、洗い越し、猪垣、猪落とし等は古道に関する貴重な歴史的文化遺産となっている。
苔むした大きな滑らかな石畳は趣があり、遠い昔に思いをはせるには雰囲気、十分。坂もあまり急ではなく、10分も歩くと波田須神社に着いた。
ここから一度国道311号に出て、横断し波田須の集落へと降りていった。曲がりくねった坂道を降りていくと熊野灘をバックに徐福の宮が見えた。その昔、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の仙薬を求めて大船団を率いて旅立った徐福が、この里へ上陸したという伝説がこの里には残っていて、海沿いの崖の上には徐福の宮が建てられたとのことだ。
里の小道を通りカフェレストラン「天女座」脇から国道311号に出て、大泊方面に歩き次の目的地、大吹峠登り口(波田須方面)まで。ここで一休みして、コンビニで買ってきた昼食をとる。
 
大吹峠
昼食後13時25分から大吹峠を上り始めた。波田須登り口はトイレ、小さな公園、駐車場を設置されていて、古道歩きのための設備が整っている。登り口からしばらくは杉、桧の林の中を行くが、やがて竹林になる。この竹林が峠まで続いている。石畳の上に竹の葉が落ち、敷き詰められて程よいクッションになり、歩きいい。竹林の中の古道は他の古道と違い独特の風情がある。30分弱で峠の茶屋跡に着く。峠の東屋で一休みして、大泊方面へと下っていった。しばらく竹林の中を行くと見晴らしのいい大泊側の登り口にでる。約一時間でこちら側までこれた。
かつて人の住んだところには竹が植えられたといわれ、峠付近も生活の場所であったことがうかがえる。今は荒れているがかつては峠付近まで田んぼが作られていた。ここの田地は「大吹の御厨(みくりや)」と呼ばれ、鎌倉時代から南北朝時代にかけて伊勢神宮の神領地となっていたことが記録に残されている。
国道311号線を大泊海水浴場の海岸を左手に見て、車までもどり、国道42号線沿いの松本峠登り口(大泊方面)のすぐ近くの駐車スペースに再び車を止めた。今日は海があまりにも美しかったので、予定にはなかったが、七里御浜を見ようと松本峠を上り始めたのは15時ごろだった。
 
松本峠
入口からかなり急な石段が続いていた。ただきれいに石が並んでいるので、足元がよく急なわりには歩きやすい。20分ぐらいで峠の茶屋跡に到着。峠には鉄砲傷のある地蔵さんが立っていた。ここから遊歩道を東屋まで歩くと七里御浜を一望できる。予想通り日の光を受けて海がきらきら光り、素晴らしい眺めだった。登ってきた急な坂道の疲れも忘れさせるこの絶景、日本の渚百選に挙げられているそうだ。光る海を眼下に、母と二人でティータイム。「きてよかったね。よく今日は頑張ったね。」と母と話した。それにしても80歳を越えた母、今日は波田須の道、大吹峠、松本峠と踏破したその健脚ぶりに脱帽。
帰りは木本には降りず、再びもと来た道をもどった。車に着いたのは16時10分。