古矢倉跡にある地蔵
 
案内板から
『熊野めぐり』に、「下り道よし、三十六丁下れば茶店二軒有」、『熊野道中記』には「当所一軒矢倉迄ツマ下り計」と記されておりこの辺りの状況を記している。屋敷跡の西側に天保十年と記された地蔵菩薩座像があり、その前に「南無阿弥陀仏」と刻まれた石柱がある。当時の戸数は一軒で、屋号を「古矢倉」といい茶屋兼旅籠があったが昭和10年には廃屋となった。古矢倉には恐ろしい伝説がある。昔、古矢倉坊主なる者がいたが、屋敷に釣天井を仕込み、旅人を殺害して軍資金を作り、大阪の陣に出たといわれている。