伊勢古市参宮街道資料館 2005.12
ここから外宮まで2.4km  あと一息です
   
古市街道 
「伊勢に行きたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と道中伊勢音頭に歌われたように、江戸時代伊勢参りは庶民の夢でした。
全国津々浦々から胸躍らせて伊勢参りに向かう人々、時に慶安3年(1650)、宝永2年(1705)、明和8年(1771)、文政13年(1830)、慶應3年(1867)の「おかげ参り」には全盛期を迎え多いときには半年間に約458万人の参拝者があったと記録に残されています。
外宮から内宮に向かう古市街道は、伊勢参りとともに栄えました。そのなかでも古市は、江戸の吉原、京の島原と並ぶ三大遊郭があり、全盛期には妓桜70軒、遊女1000人を数えました。特に油屋、備前屋、杉本屋は古市の三大妓桜として有名でした。寛政8年(1796)に、油屋でおこったお紺と孫福斎による刃傷事件は、後に近松徳三により「伊勢音頭恋寝刃」という歌舞伎になり、現在でも演じられています。
当地で行なわれた伊勢歌舞伎は、江戸と上方の中間にあり、かつての松本幸四郎、尾上菊五郎らも来勢し、役者の登竜門として有名でした。また千束屋(ちつかや)は「東海道中膝栗毛」の野次・喜多の図にも見られた妓桜でしたが後に貸衣装屋に転じ、伊勢歌舞伎を支えました。唯一現存する麻吉、昭和40年代まで存在した大安なども古市を代表する旅館でした。
その他現在の古市街道周辺には、お紺の墓のある大林寺、千姫の菩提寺であり、画僧月が住職であった寂照寺、天女命(あまのうづめのみこと)を祭神とする長峯神社、桜木地蔵など往時を偲ばせる施設がいくつかあります。