内宮・外宮 2005.11.28 晴れ
午後4時ごろから内宮、外宮に出かけた。この日は車で両宮まで行き、苑内を歩き、次回内宮から宮川度会橋まで歩くとき、両宮参拝を省略するつもりで出かけた。もう夕方だというのに観光客が結構いてややびっくり。内宮は時々行くけれど(写真 写真)、外宮は久しぶり(前回遷宮のとき以来かな)。
内宮では五十鈴川の紅葉が見頃だった。
外宮に着いたころにはもう薄暗くて、帰りには参道に明かりがつき、すっかり日が暮れていた(写真)。5時までに参拝はお願いしますといわれてしまった。

 

内宮-外宮-宮川度会橋-田丸城   2005.12.01 晴れ
12月1日午後から宮川近くに私の車を止め、娘に内宮前まで車で送ってもらい、内宮から度会橋まで歩いた。11月28日の夕方あらかじめ内宮と外宮の中と参拝はすませたので、この日は時間短縮のため両宮参拝はしなかった。
内宮前を出発したのは13時9分。おはらい町を歩き突き当たりのT字路を左折して浦田の交差点を渡り、猿田彦神社に出た。この日は平日というのにおはらい町は観光客でよくにぎわっていた(写真)。いつもはあっちこっち寄ってついつい何か食べ物を買ってしまうけど、今日は写真を撮りながらせっせと歩いた(写真)。猿田彦神社に着いたのは13時30分前(写真)。私は地元なので、度々来れるけど、そうでない人はもう少しゆっくり楽しみながら歩くといいでしょう。猿田彦で参拝して、次の信号を右折すると、くろもん橋を渡り(写真)、牛谷坂を登る。宇治惣門跡(写真)のスペースに古市街道、牛谷坂(写真)等の説明が書いてあった。左手に小美術館(写真)を見て、坂を登ると奉献両宮常夜燈と書いた大きな灯篭が2つ並んでいる(写真)。坂を登ったところの路地を左に曲がると桜木地蔵がある。伊勢自動車の上を道路は通っていてこのあたりは少し広くなっている。わが家のすぐ近くだ。この広場に面したところに伊勢古市街道資料館(写真)があるので寄ってみるのもよいでしょう。無料です。外宮まであと2.4kmだ(13:57)。再び細い道を行くと右手に寂照寺がある(写真)。ここは千姫の菩提寺であり、画僧月が住職を務めたところ。寺の前で説明板を見ていて月が書いた掛け軸が何点か家にあるのを思い出した。こんな近くに関連した寺があるなんて思いもよらなかった。寂照寺をすぎて標識にしたがい右の路地を入ると左手に金光教五十鈴川教会(写真)、その隣に麻吉という江戸時代から現存する唯一の旅館がある(写真)。麻吉の階段を下りると自宅まですぐだ。再び古市街道にもどり、少し行くと天女命(あまのうづめのみこと)を祭神とする長峯神社がある(写真)。さらに行くと近鉄の線路を眼下に見渡せる高架に出る(写真)。この高架のそばに妓桜油屋跡の石碑があった(写真)。車ではよく通る場所だが、まったく気付かなかった。古市郵便局をすぎると緩やかな下り坂になった。坂の途中には古市芝居跡(写真)、隠岡遺跡公園に行く案内(写真)、間の山お杉お玉の碑(写真)があった。坂を下ったところは小田の橋で(写真)、ここにスペースがあり、あまりきれいではないけれど勢田川を見ながら一休みできる。お木曳きの説明、昔の小田の橋の様子などの説明がある(14:31)。しばらく民家の間を行くと左に祖霊社(写真)があり、ここを左折し、次の信号を右折すると御木本道路にでる(写真)。左手に見えるのは外宮の森だ。外宮手前の茜社(写真)から外宮の敷地に入り、勾玉池の紅葉を見ながら(写真)、外宮前(写真)へと出た(14:54)。
正式に両宮を参拝するときは外宮から内宮へ参拝するのだが、今回は内宮から出発している。
外宮の脇を通り、県道伊勢南島線を行った。左にNTT伊勢志摩支店の建物が見えたが(写真)、この場所には私が通った厚生中学校があった場所だ。運動場の向こうは外宮の森だった。通学で通った道を歩き、当時からある旧家の前も通った(写真)。御師福島みゆき大夫邸跡の前には大夫の説明書きがあった(写真)。御師は全国神宮住従と師檀のつながりがあり、伊勢を訪れた参宮者を邸内に宿泊させ面倒をみる習わしがあったと聞いている。実は私が育った家もその昔御師だったところを、祖先が買いうけ住んでいた。葉山大夫といい、その山門は現在神宮徴古館にある。宮町、常盤の町を過ぎると筋向橋(すじかいばし)(写真)に出た。常盤町では右手にかつてのわが家を見(写真)、左手にこれもかつて通った早修小学校のあった場所(現在は風呂屋と民家になっている)を見ながら歩いた。さらに商店街をすすみ辻久留にくると(写真)、宮川の土手が見えてきた。今日の目的地までもう少し。辻久留を右に曲がり、宮川度会橋のたもとに出た(写真)(15:34)。内宮から外宮を通り、度会橋のふもとまで約2時間30分。普段、車ではよく通る道ばかりだったが、よい天気に恵まれゆっくりわが町の再発見ができた日だった。