村山龍平記念館 2005.11
 田丸城は城域が16万平方メートル余りの城址だが、廃城後の明治4年、城内の全ての建物が払い下げ解体移築され、城地も御料林(国有地)に編入された。
 昭和3年、現・玉城町生まれの村山龍平氏(旧紀伊藩田丸領士族・朝日新聞創始者)の篤志により旧田丸町有地となり、「城山公園」として開放された。
田丸城の建物遺構は、「富士見門」と、紀伊徳川家領有時代に三の丸に置かれた御殿の一部である「奥書院」の二つだけと少ないが、この奥書院は約120年ぶりに玉城町に戻り、移築保存されている。