大門坂---大河内村---本宮道E---志古---万才峠---小雲取越---本宮大社   2006年716日〜7月17日 曇り
 今回は熊野古道伊勢路の最終章とも言うべき志古から熊野本宮大社まで歩くのが目的。そして前回、道を間違えたためにまだ歩いていない本宮道E以後を志古まで歩く予定だ。
この最終章だけは、ぜひ夫と歩こうと心に決めていた。あまり気乗りしない夫を誘い、7月16日、17日の連休を使って出かけた。
朝7時30分過ぎに車で伊勢を出発。いつものように伊勢自動車道、紀勢自動車道、国道42号線をを南下し、JR那智駅前の信号を右折。県道43号線を進んで、那智大社大門坂ふもとの大門坂茶屋で、平安衣装をレンタルした。聖地熊野でみやびな体験をと思い、したたり落ちる汗をぬぐいながら平安衣装で大門坂で記念撮影をして、国道42号線をもどり、新宮の町で左折、熊野川に沿って国道168号線を上流へと車で行った。志古手前の三和大橋を渡り、熊野川の東岸へ行き、楊枝橋を渡って、県道780号線(熊野紀和線)を山の中に入っていった。途中楊枝川の集落を過ぎてさらに北上した。道はだんだん狭くなってきて、途中から林道大河内線に入り、今年4月に雨の中、道を間違えた林道大河内線と林道小船小川口線の交差するところまで夫にアッシーを頼んだ。4月は雨がざんざん降りで、標識をよく確かめずに道を間違えたらしい。よく見ると熊野古道 楊枝川方面次の入口まで1.2kmの標識がちゃんとあった。
ここで夫と別れて、林道大河内線を通り、本宮道Eを通って楊枝川の集落を過ぎて、県道780号線を楊枝橋まで歩いた。ここで夫と合流し、車で三和大橋を渡ったところで、再び国道168号線を志古まで歩いた(16:12)。3回に分けて歩いた矢の川〜志古の本宮道をこれでやっと全行程歩いたことになった。明日はいよいよ志古から熊野本宮大社まで歩き、これで熊野古道伊勢路の終点に着くわけだ。午後から私が歩いている間、夫は、大河内山村明倫小学校跡、布引の滝、道の駅などをまわったらしい。まだ少し時間があったので、今日のうちに熊野本宮大社参りを済ませておこうと、車で本宮大社に向かった。下の駐車場に車を止め(16:43) (写真)、急な階段をちょっと登ると(写真)大社が見えた。那智大社を違って木の社が趣があり(写真)、私はこちらの方が好きだ。ヤタガラス導き御守を記念に買った。
 熊野本宮大社は熊野三山(本宮、新宮、那智)の首位を占め、全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として広く世に知られている。御主神は宇都美御子大神(ケツミミコ)即ち素戔鳴尊(スサノウノミコト)で、御木を支配される神で、紀国(木の国)の語源もここから起こっている。大神は植林を御奨励になり造船の技術を教えられて外国との交通を開かれ人民の幸福を図られるとともに生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連(クマノムラジ)が当地に社殿を造営して鎮祭したと伝えられている。奈良朝のころから修験の行者が頻繁にここに出入りして修行しますます神威が広まった。延喜7年(約千年前)宇多法皇の御幸をはじめ約三百年にわたり法皇、上皇、女院の御幸は実に百数十回に及んだ。これが史上有名な熊野御幸(クマノゴコウ)である。これと前後して当時の神仏習合によって御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は全国各地から熊野の深山幽谷を埋め、「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに全国に御分社を祭り、その数は現在約五千数社を数えている。その後源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱とさまざまの変災の渦中にありながら、人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は熊野牛王(ゴオウ)(おからす様)の神符とともに全国に伝播して明治時代にいたった。現在の社殿は享和二年徳川家斉将軍の命によって紀州候治宝(ハルトミ)卿が音無里(現本宮町大斎の原(オオユノハラ)(指定文化財)に建立されたが、明治23年の大洪水にあって現社地に修造して遷座されたものである。この社殿のつくり方を「熊野造」という。なおこの旧社地は別社地と呼び石祠二段を仮宮として西方に中四社、下四社を、東方に元境内摂末社を合祠してある。以上は境内の案内板より
今日は川湯温泉にホテルを予約してあった。ゆっくり温泉につかって、明日の古道歩きにそなえよう。
17日早朝、ホテルを出発し、熊野本宮大社の駐車場に車を止めて、7時24分本宮大社前からバスに乗り、志古まで行った(7:49)。瀞峡ウォータージェット船乗り場前の細い道を標識にしたがって万才峠に向かった(写真) (7:58)。今日は夫も一緒に歩くので心強い。最初はのどかな田んぼの中を歩いていくのだが、しだいに杉林の山道に入っていった(写真)。とはいっても舗装がしてある林道志古線なので、楽ちん。ただし気温があがってこなければ。でもこの季節に歩くのだから暑いのは仕方がない。一遍上人名号碑案内板があったので(8:36)どこかなと思いながら歩いていると牛舎の横に出た(8:42) (写真)。「この牛はは熊野牛だ。」などと話しながら「モー、モー」という声の間を過ぎると、やがて万才峠登り口の道標が見えた(9:15) (写真) (写真)。でもこの入口を通りすごし、さらに200mほど登った所に一遍上人名号碑があるというので、峠越えの前にちょっと寄り道。いかにも古そうな石碑と地蔵(桜地蔵)があった(9:20)。
再び林道沿いの万才峠登り口までもどり、山道に入っていった。細い道だったが、周りに猪垣もあり、迷うような道ではなくてほっとした。石畳もしっかり残っていた。切り通しの峠には9時40分に到着した(写真)。標高415m。「万歳、万歳」と両手を挙げてポーズ(写真)。伊勢路最後の峠で小休憩して、今度は小雲取越の合流点に向かった。下りは結構急でなので、日よけ傘を杖代わりに一歩一歩踏みしめて下りていった。小川を渡ったり、石畳を歩いたり、頂上から40分ぐらいで小雲取越に合流した(写真) (10:25)。
小雲取越は今までの細い急な坂道とはうって変わって道幅も広く、アップダウンもあまりなく歩きやすい道だった。やはり、庶民の道と法王、貴族が歩いた道との違いなのでしょうか。この道なら輿でも通れそう。松畑茶屋跡という広場のような場所を過ぎ(10:35)木々の間から洋々たる熊野川が見えた(写真) (11:23)。もうすぐこの山道も終わると思い、疲れた身体に鞭打って先に進んだ。民家の横を通って階段を下りると国道168号線に出た(写真) (11:40)。国道沿いの立派な木の香りが心地よい公衆トイレで一休憩して(写真)、又汗をダクダクかきながら、国道を本宮大社に向かっていった。途中大峯奥駈け道への橋を右手に見て(12:22)、本宮の門前町に12時33分に入った(写真)。歩き始めて約4時間半弱。右手にそれて、旧社地大斎原(オオユノハラ)に立ち寄りゆっくり休んだ。大斎原では祭殿の前でジーっと目をつぶって祈り、大木に手を当てて瞑想にふけっている人の姿を見かけた。日本一の大鳥居をくぐり、13時5分に本宮大社前に着いた。ここから先は昨日行ってあるので今日は省略。
帰りに道の駅で遅い昼食をとり、熊野川温泉さつきで温泉につかり、汗を流して、さっぱりしてから、もと来た道を帰路に着いた。途中尾鷲で回転ずしで夕食を食べ、伊勢に7時前に無事到着。伊勢路を踏破でき感無量。今日は私の中での一区切りの日だった。

 

 

 

参考
川湯まつや
和歌山県田辺市本宮町川湯29
 あじさいプラン ツインバストイレ付き 一泊二食付き(温泉は川湯みどりやが無料で使用できる)  8835円/人
  
大門坂茶屋
 貸衣装 2時間 2000円/人
 
熊野川温泉さつき 立ち寄り湯
 480円/人