加田石仏道標

 
加田石仏道標の案内板によると熊野街道は江戸以前は大内山よりツヅラト峠を経て赤羽地区に入り、島地峠を経て加田に出ていた。江戸以降、荷坂道が整備され、長島浦(長島)を通る道が本道となり、この地点が新旧熊野街道の交差点となった。本石仏道標は正面に「三禅定門」と刻まれ、その碑の側面には「左くまの道」と刻まれている。文化11年(1814)という年足も判読でき、旅に倒れし他郷の人の墓碑と道標を兼ねたものであったと推察できる。この石仏道標の脇に古い地蔵碑も建立されている。こちらの方は「自光性智童男」と記され、延宝3年(1675)の日付が刻まれている。