ツヅラト峠志古側登り口---島地峠---赤羽口---加田教会前  2006522日 曇り時々晴れ
今回はツヅラト峠志古側登り口から島地峠を通って加田教会前まで歩くのが目的だ。
午後から伊勢を出て(13:055)、車で伊勢自動車道、紀勢自動車道。国道42号線を通り、紀伊長島町加田教会前に車を止めた(14:07)。途中道の駅まんぼうで休憩したとき、タクシーを加田教会前まで予約しておいた。紀勢交通05974-7-1511
加田教会前からタクシーで前回ツヅラト峠を歩いたときに車を止めたツヅラト広場手前の駐車場スペースまで行った。
ツヅラト峠志古側登り口を出発したのは14時25分(写真)。最初は志古川沿いに対岸に集落を見ながら歩いた(写真)。途中、十五家不動明王(写真)、墓地(写真)、地蔵(写真)、祠(写真)を過ぎ国道422号線に出て右折して志古川にかかる橋を渡った(写真) (14:59)。
ここからしばらく国道422号線を歩いた。志古小学校前を通り(写真)、赤羽川にかかる松原橋を渡った(写真)。橋を渡ったところに庚甲堂とう地蔵があった(15:02)。下地の集落を過ぎ(写真)、ズーッと赤羽川沿いに422号線を進んだ。国道といっても歩道もなく片側一車線の狭いところもあるので、注意して歩かなくてはいけなかった(写真)。交通量はそれなりにあった。赤羽川は深い青緑色で水量も結構多く流れもありそうだ。この川の対岸に旧参詣道があったそうだが(写真)、今は通れるかどうかわからないとのことだ。茂原の集落で郵便局があり、ここに古道案内と書いてあったので、島地峠に行く道をたずねた。すぐそこを左折して工場を過ぎたら右折、突きあったて左折、坂道を登って左手の道を進むようにご親切に教えていただき、いいタイミングで、いい方にたずねたと思った。かつて赤羽交番所があった交差点を左折し(写真) (15:52)、教えてもらったとおりに道を進んだ。何の工場かわからなかったが(写真)、こんな山奥にと思うようなところに大きいな建物があった。でもこの工場のためにこのあたりの道は二車線できれいだし、交通量も多かった。この工場の門の向いに石碑があった(16:00)。奥村墳墓と書いてあり、要するに墓なのだ。この墓(宝筐印塔)の案内板によると奥村氏は北条氏の臣で、鎌倉幕府滅亡時、赤羽谷に落ちのび、前山的場あたりに拠を構え、当主は新之丞を名のり、紀北一帯に勢をはっていた。天正3年(1575)北畠勢に敗れてからはその勢力はおとろえてしまったらしい。宝筐印塔はもともと経塔として建てられたものが、中世以降、身分の高い人の墓地として建てられるようになったもので、当時奥村氏の地位が相当なものであったことを物語っている。この向いの道を右折して民家に突き当たって左折。ここでもう一度道に誤りがないか庭に出ていた人に確かめた。「昨日も島地峠にきた人がそこの道を違った方にいったので追いかけてもどってもらった。」とのこと。島地峠のようなマイナーなところには古道歩きに来る人はいるのかなと思っていただけにちょっとびっくりするとともに仲間がいてうれしかった。道に迷いながら古道歩きをしているのは私だけではないんだ。このコースは道標がまったくない。この人が「役場の人に立て札を立てるように話しておいてあげる。」と言っていた。ぜひお願いします。坂を少し登ったところで、道が左右に分かれているが、ここを左手にとると(写真) (16:05)、薄暗い山道にさしかかった。少し汗ばんできただけに、杉林の中の空気がひんやりして心地よい。ただし道は舗装してある。すぐ下をトンネルを通って島地峠を越える新道が走っていて、車がビュンビュン走っていた。ここまで来ると人も車もいない。時おり差してくる木漏れ日の陰影を楽しみながら坂を登っていくとじきに頂上に到着(16:16)。頂上といっても何もない(写真)。ただ道が登りから下りになるのでそうとわかるだけだ。車の音も聞こえなくなり、新緑が美しい。遠くに紀伊の山々が見えた。と思ったら、すぐに長島港の看板がみえた(写真)。坂を下ると加田の石仏に着いた(16:36)。
加田石仏道標の案内板によると熊野街道は江戸以前は大内山よりツヅラト峠を経て赤羽地区に入り、島地峠を経て加田に出ていた。江戸以降、荷坂道が整備され、長島浦(長島)を通る道が本道となり、この地点が新旧熊野街道の交差点となった。本石仏道標は正面に「三禅定門」と刻まれ、その碑の側面には「左くまの道」と刻まれている。文化11年(1814)という年足も判読でき、旅に倒れし他郷の人の墓碑と道標を兼ねたものであったと推察できる。この石仏道標の脇に古い地蔵碑も建立されている。こちらの方は「自光性智童男」と記され、延宝3年(1675)の日付が刻まれている。
この前の踏切を渡ると国道42号線だ。バス停は赤羽口。近くのコンビニで休憩して、国道42号線を進み、加田教会前には17時に着いた。ここから車でもと来た道を帰り、伊勢に18時5分に到着。